歳をとるごとに、難しい文章を避けているのかもしれない。
読もうと思った本を開く。
文字が乱立している。
そっと本を閉じる。
昔は字に対して、耐性があった。
難しい漢字があれば調べてみたし、
スルーしてとりあえず読んでみた。
今はそれが難しくなったことに
頭を抱えている。
私だけではなく、一般的に人は前よりも難しい文章というものを読めなくなってきているのかもしれない。
ネットの普及で、短文を読むことに長けてはいるが、長文はあまり読まなくなってきている。
文と文の間には空白を入れる。
これが読みやすい文章としてマニュアル化されているのも事実だ。
最近売られている本でも、空白がある本が多い。
端的に物事が表されていると、読みやすいと感じる。
一方で、長文を読むということを避けてしまっている自分がいる。
私は漫画が好きだ。
私の知り合いに、漫画は絵だけ見て文は読まないという人がいる。
秀逸な漫画なら、それで通用する。
新聞も読まなくなった。
まず、新聞をとっていない。
たまに地域新聞のような広告のような物が郵便受けに突っ込まれているが、読んでいない。
中学校の時、小論文を書くために「新聞を読め」と言われていたけれど、今でもそう教えられるのだろうか。
何の感情もない文字の塊が並んでいるのが苦手だ。
辞書も面白いとは思わない。
新聞の、小さく出ているコラムを読むのは好きだった。
書き手の意見がユーモラスに書かれているからだ。
「昔はよかった」
なんて思わないけれど、
脳みそ的にはやはり成長期の方が良いのだと、
実感する今日この頃。
難しい、難しい、と自分で難解にしているだけかもしれないが。
物事はシンプルに考えるのが一番いいらしい。
しかし、私はシンプルにできない。
あれもこれもと考える。
それはもう、癖というより、そう考えるのが好きってことだと言われたことがある。
そうかもしれない。
「はい」か「いいえ」
「白」か「黒」
だけなんて私には決められっこない。
難しい、と匙を投げないで自分がわかるところを読めばいい。
歳を取ると考えが凝り固まって頑固になるという。
自分のわかる方、自分のフィールドにいきがちだ。
それでも楽しいのだが、もっと柔軟に生きていきたい。
閉じた本をパラパラとめくって、
わかりやすく読めそうなところから始めよう。