見出し画像

センスもねぇ、才能もねぇ、オシャレはちっともわかりゃしねぇ

noteを始めて数週間。思ったことがある。
みんな経歴とか、書く記事、立派すぎない?
素直にすごいと思う。
と、同時に自分の書く記事に劣等感を抱く。
私の書いた文は、人の心に届いているのだろうか。


まず、タイトルからして気を引くものが多い。
やれ「フォロワー◯人、突破した〜」だの
やれ「note◯日目〜継続〜」だの
やれ「◯◯する方法」(有料)だの
すぺたの、こぺたの。
…成功者。って感じ。

情報商材で利益を上げようとしているものもあるけど、読み物として面白いものもあるのは事実。

あと、間に挟む画像やら、文の間隔の空け方とか書き方とか言葉の使い道とかセンス抜群って人もいる。そのセンスが羨ましい。
noteをこのまま続けていけば、あっち側の存在になれるのだろうか。
否、何も考えずに文章をただ打ったところで文には慣れるが、そんな存在にはなれやしない。と、頭の中で警鐘が鳴る。
なんだか、自分が馬鹿になったようで焦燥感を覚える。

やれ「ペルソナ」やら
やれ「ブランディング」やら
自分のこともよくわからないのに、そんな自分を好むターゲットなんてわかりゃしない。自分のこと、ただの病気持ちの変人としか思っていないし…。変人の極みから見たら、変人どころかただのパンピーだ。

ある種の感情を置いていく努力をしないと、素のままでたくさんの人に愛されるのは稀だ。むしろ、万人に好かれるのは絶対出来ないのだから、自分を置く場所を決めて、集めるターゲットを絞ることでwin-winってわけだろうが…。
そんな器用に自分を分けられるなんて、みんな分裂しているの!?

何者かに成り上がるのは難しい。

センスってふわっとしているから、自分のいいと思うものに触れていくことでしか磨けないことだとは思う。
才能はみんな持っているものだけど、自分がそれに価値を見出せなければないようなもので、更に人と比べたら…なんてこともある。
オシャレはもう、わからない。

オシャレがわからな過ぎて、似合うファッションを鑑定してもらったことがある。
自分が着ている服も持っていったのだが、先生には
「これほど自分に似合わない服を着ている人は、今まで鑑定してきた中で一番よ」
と言われた。不名誉な一番を頂いた。
私に似合うファッションはI型のスラッとしたものなのだが、体型的に無理だ。
せっかく鑑定してもらったのに、いつもパーカー。ズボン。楽が勝っている。
こんな私だ。オシャンティなnoteなど書けるはずがない。

そんなわけで、私は何者にもなれないまま、このまま突っ走るだろう。

何か人に役に立つ記事でも書いていけばいいのだろうが、どうも「こんな私が」という思いが強くて全然書けていない。いずれ書くことを目標にしたい。


こんな今でも、いいと思ってくれる人や認めてくれる人は少なくともいてくれる。今もスキしてくれる人やフォローしてくれる人には元気をもらっています。
本当にありがとうございます。適度にがんばります。






いつもサポートありがとうございます。 頂いたサポートは、医療費として使わせて頂いております。 感謝です、あなたにしあわせがふりそそぎますように…**