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千年後の誰かへ~徒然なるつぶやき

Twitter=現Xでは日々人々が何かをつぶやいている。15年以上も前にTwitter社が始めたこのサービスは今や世界中を席巻しており、今や単なるつぶやきだけではなく各機関の公式発表にまで使われている。そして時には私人公人問わず特定の人間を攻撃する手段にも。

元々自身の状況や心情を小鳥のようにTweet=さえずる目的として作られたサービスが、今や街路樹のムクドリやカラスのような喧噪を生み出しているのは開発陣も想定外だったろう。喧噪を生み出している鳥たちの多くは日々の鬱憤を晴らすために負の感情を吐き出し続け、プラットホームを汚し、さらに居心地を悪くしている。果たして日々つぶやかれるそれは本心だろうか、そして私生活でも同じことを口に出せるだろうか。

僕自身も時には負の感情を吐き出してしまうことがあるが、ここ最近は今までよりも気を付けている。それは負の感情を吐き出し続けることによる自身の心の穢れを防ぐためでもあるが、もう一つは未来のためだ。

明月記という有名な日記がある。

藤原定家(1162-1241)により生涯にわたり書かれたこの日記は、定家が自身の体験や知識を書き残したことにより貴重な資料となっている。当時の出来事や定家の価値観等が数十年にわたり記録されているのだからその希少性は想像に難くないだろう。

明月記に関してよく知られているものが超新星爆発だ。超新星爆発は巨大な星が一生を終える際に起こす爆発であり、ものによっては昼間でも観測可能な明るさを持つ。

定家はあるとき空に不吉な星を観測したことがあった。実際には彗星であることが現代では分かっているのだが、当時では見慣れぬ天体現象は不吉な象徴であった。そのため過去の天体現象の際にどのような凶事が現れたのかを知る必要があった。そう、明月記の超新星爆発の記述は定家が周囲の人間に書かせた定家が生まれる以前の記録なのである。

しかしこの記述のおかげで見慣れぬ星々への当時の人たちの心情だけではなく、超新星爆発の論文が出版されるまでに至っている。

もちろん定家の日記には愚痴等も書かれてはいるが、大事なのは彼がありのままの心情や出来事を記録し、千年後に伝えていることだ。

僕のつぶやきも幾星霜を経て千年後の誰かを楽しませることが、あるいは助けることができるかもしれない。

そう考えると、未来のために些細でもつまらなくても、つぶやいてみようかなと思えてくのだ。

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