リフレクションの先にはすっぽんぽんの自分がいる。ショーンとリフレクション
一度立ち止まってかえりみる
「リフレクション」
こちらも近年はやりのキーワードですよね、どこもかしこも「リフレクション」。
日本語だと三輪建二先生が「省察」と訳されました
(これ、「しょうさつ」じゃなくて「せいさつ」って読むんですよ)
省察とは
自分自身をかえりみて、そのよしあしを考えること。
いわゆる「振り返り」です。
ここでは専門家のみなさまに土下座して、あえて「振り返り」と呼ばせていただきます。
これまた成人学習のなかの肝ともいえる部分で、リフレクションはおとなである私たちだからこそできるものでもあります。
今回はこの「リフレクション」の神様であるDonald Schonさんをご紹介します。
ちなみに、我が国ではドナルドショーンといえば三輪建二先生のこちら
そして(ちょこっと宣伝させてお願い)
ここでは私が昨年の夏にインタビューさせていただいた際、「看護に省察の場をつくる」という内容をのお話を伺いしました。
これ読めばリフレクション十分わかっちゃうんですけどねっ
では、、、
まずはいつも通り理論家さんから。
**Donald Schon **ドナルド すちょん、ではなくショーンさんです
MITで教授をされていたアメリカ人の理論家さんです。
以前こちらで紹介したクリス・アージリスさんと長年共同研究をされていました(シングルダブルループのあのひとです!)
そして彼はいろいろな理論を構築されていますが、今回はそのなかでも特にReflectionに着目したいと思います。(専門書ご希望の方は上の本読んでくださいね)
2つのReflective practice (振り返りの実践)
ショーンはふたつの振り返りの実践方法を提唱しました。
それが、reflection-on-action **と reflection-in-action**
サイゼリアの間違い探しのようなかんじですが、onと in がちがう、それだけです。
Reflection-on-actionとは「行為後の省察」、つまり、すでに経験しおわった出来事に対しての振り返りを行うものです。
「ああ、これああやればよかったなー」とか「もっとこうできたなー」とか、経験しおわったあとに振り返ることでもっとこうできた、という点を見つけ出していくものです
looking at the positives from that interaction
ともあるように、けっして「反省」ではないんです。
良いことももっとよくできたことも、見つけ出していく。それが ON のほうです。
一方、reflection-in-actionは「行為中の省察」、経験しながら同時に振り返りをしていくというものです。まさに、やりながらリアルタイムで振り返りまくる。
Onのほうが一歩下がって俯瞰的にみる、というのであれば、
Inのほうはずっぽり入り込んで、巻き込まれながら頭フル回転なかんじ。
Reflection-in-action involves using analysis of observation, listening and/or touch or ‘feel’ to problem solve. It therefore sounds a lot like clinical reasoning – where reflection differs is that the problem solving leads to a change in the practitioner’s view of self, values and beliefs.
Inのほうは観察による分析、聞いたり触れたりといった「感覚」が重要になります。そして実践者本人の価値観や信仰の変化までももたらすそう。
つまりは「振り返り」ってこここーすりゃよかった、みたいな次元ではなく、もっと深く深く、こう感じたとか、信じている見方とか、自分の価値観を形成しているものだとか、それを「かえりみる」ということなんですよね、きっと。
だからよく「リフレクションシート」って最後に書くやつはreflection-on-actionであって、reflection-in-actionは自分の内側にあるもので、やった本人がリアルタイムに自分の「感覚」で実感するものなのかなぁと思いました。
タイトルの真意
授業でショーンとリフレクションを学んで、ショーンの原著文献も読んで、改めて先ほどご紹介した週刊医学界新聞の三輪先生の言葉を読み返してみました。
自分自身で自分の問題点に気づく意味でリフレクションを大事にする必要があります。これを私は「省察」と訳しています。他者に指摘されて直すのではなく,本人が省察し気づく環境を整えることが,成人教育学の根幹を成します。
インタビューした夏の当時、「省察」を心の中で「しょうさつ」と呼んで あ、やべっ って思ってしまうくらいに知識がうすっぺらかった私。
今だからこそ、この言葉がずしーんときます。
わたしたちは、どれだけの経験を「やりっぱなし」に見過ごしてしまっているだろう。
それはあまりにももったいなさすぎる。
この「気づく環境を整える」って、どれだけ大切なことなのか今ならもっとわかる。
大学院の授業や課題は、(いやになるほど)リフレクションの機会が多い。
たぶん、リフレクションすればするほど自分の問題点に気づいてしまうからいやになってしまうんだ、と思った
丸裸の自分、というか、いつもは何枚も何枚もいろんな服で着飾っているのに、リフレクションをするとそれが一枚ずつはがれていって
すっぽんぽんの自分と向き合うことになる。
だから私はリフレクションの先には「すっぽんぽんの自分」がいることだと思う。決して、卑猥な意味ではなく。笑
こんな終わり方でいいのか謎なんだけど、今下手にかじった状態で三輪先生にインタビューしたら
寺本「わたしはリフレクションの先にはすっぽんぽんの自分がいることだと思いました」
とか言って、大恥かいて盛大に編集部の皆様にカットされていたかもしれないので、あのときインタビューしてよかったと思いました。
参考文献
Schön, D. A. (1983). The reflective practitioner: How professionals think in practice. Routledge Taylor & Francis Group.