静かなるあばれはっちゃく
わたしは「伝わらないこと」に対するショックが人よりも少しだけ大きい気がする。
伝わらなかったかけどまあいいか、おいおい分かってもらえるようにしよう、が出来ない。
しまいには伝わらなかったことに怒り出す。自分の伝える努力不足だとしてもだ。
…これを生れてこのかた、ずーっと繰り返しているし、いい加減直したい。
人と向き合うときに、全力で「個人」と向き合ってしまう。
初めてお話しする人などにも「どこに住んでいるんですか」とか普通の話をしてしまう。そこから話題を広げられるわけでもなく。
その他、体調の話とか、仕事の話とか、もっと面白い話題ないのか…って思うんだけど、出来ない。
全体の話ではなく「個人」として、真剣に話を進めてしまうのだ。
もちろん、もっとライトな感じで向き合ってくれよ~というタイプの人もいるし、なるべく自分も対応しようと試みる。
でもそうすると、自分の面白くないところが露呈されるし、伝えたいことも一方通行で変な空気を作ってしまう。
相手が求めている温度でいけない自分が恨めしい。
仕事があって、音楽があって、プライベートがあって、各シーンにそれぞれの自分があり、その全てのシーンで自分を理解してもらうことは難しいと思う。贅沢な気すらする。
いつまでこんなワガママを言い続けるのだろう…たまに本当にげっそりする。
だけどここ何週間かで、わたしがいちいち怒り出す数よりも、そういうわたしを受け入れてくれている人の数の方が断然多いのだと分かった。
少し恥ずかしくなった。どうせ伝わらない…と斜に構えるんじゃなかった、と反省もした。
いまだに、100%伝えたいことがあるのなら100%伝われ、と思っているし、心の中では静かなるあばれはっちゃくなんだけど、それよりも世界が思った以上に優しいということにわたしは首を垂れるべきだ。