30手前にして、ジャニーズアイドルにハマった
はじめに言っておきたいのが、私は自分の好きな物を人に話すのが基本的には好きではない。
それを好きだと思う気持ちも、感じたことも、得た何かも、私だけの宝物。
そこに土足で誰かの物差しや感性、解釈が入ってくることが許せない心の狭い人間だからだ。
だからこれから書く文章には、具体的な固有名詞は載せない。
分かる人には分かってしまうかもしれないけれど、それは無視して書こうと思う。
それくらい私にとって大きなことが起きた。
ずっと考えてたし、認めてなるものかと1週間くらい葛藤したりもしたけど。
30目前にして、今私はジャニーズのアイドルグループにどハマりしてる。
ぶっちゃけ大好き。
1.私のほしかったエンタメ
私の10代はヴィジュアル系バンドを追っかけ回して終わった。
私の10代と言えば、男性アイドルも女性アイドルも絶大な人気を誇っており、テレビをつければアイドル戦国時代なんてことも言われていた頃だ。
私の友人の多くも何かしらのアイドルのファンだった。
その頃私は都内の薄汚いライブハウスのフロアで、一心不乱にヘドバンしていた。夜行バスに乗って、地方の薄汚いライブハウスを転々としていた。
それが私には必要だったから。そしてそれは今も私に必要なもので、私が愛するエンタメの本質なのだろうと思う。
あの頃の私がほしかったのは、圧倒的な非日常だった。
山間部の高校から1時間電車に乗って東京に出て、薄暗い地下に潜って、日常のノイズをかき消すような爆音で流れる音楽に身を任せて、ヘドバンだ折り畳みだと訳の分からないことを一心不乱に行う。
ヴィジュアル系のライブを外から見ると、それはもう奇々怪々な空間である。
そこらへんに転がっている新興宗教よりも全然異様な人達で溢れている。
その空間に蠢く熱の塊の中に飲み込まれているのが、私は何より好きだった。
そして私は、信じられるものがほしかった。
まだ何者でもない、何者にもなれない女子高生だった私は、圧倒的な音、言葉がほしかった。
誰が何を言おうと、世界がどう変わろうと、彼らにしか作れない音、彼らにしか紡げない言葉を私は知っているということが、私の支えだった。
「死にたいと思う弱虫でも、生きていいんだから、泣かなくていいよ」
「この賛歌ただ、目の前の君だけに」
彼らの手によって作り出された楽曲を、彼らが表現し、それを受け止めることができるライブというのは、私にとっては唯一の救いだった。
特にヴィジュアル系というのは、メイクや衣装、セットなど、あるもの全てを使って表現することの出来る音楽だから。
私をつまらない日常から連れ出して、新しい世界を見せてくれる。
世界の創造主として信じさせてくれる。
それが私にとってのヴィジュアル系で、必要としていたエンタメの形だった。
…自分で言うのも何だけど、激重。
だから、期待していたものが得られなかったとしても、基本的に私のせいだし、裏切られたなんて思ってはいけない。
だけど、見たいものが見られない時間に対してお金を払えるほど私は裕福じゃない。
私はヴィジュアル系から遠ざかっていた。
ヴィジュアル系というか、もう10年くらいファンだったバンドから離れた。
そのバンドは、表現することを怠った。私が信じてきた楽曲を否定した。
自分たちで作った自分たちの音楽だから、その自由はあるだろう。そのことに怒るのはお門違いかもしれない。
だけど、エンタメに「非日常」と「信仰」を求めていた私にとっては、正直手痛い裏切りだった。
痛いファンで申し訳ないけれど、心底傷付いた。
だから、今までずっと私の真ん中にあった趣味を手放した。
彼らに出会ったのは、そんな時だった。
2.誠実さは何より推せるものだな!
これがまだまだ時間を持て余した死にたがりの10代だったら、致命傷になっていたかもしれない。
でも私はもう十分に大人だし、大好きな仕事を一生懸命できていて、面白い友達が居て、映画観たり文章書いたりしていて、そのバンドが無くても私の生活に隙間は無かった。
あーあ、めちゃくちゃ好きだったな、残念だなって、ちょっと思うくらい。
そもそも、お金も時間も頑張って捻出して彼らの音楽を聴きに行っていたのだから、全体の質量が足らなくなるわけはないのだ。
日々を一生懸命過ごして、ぼーっとする時間があれば適当にSNSやらサブスクやら観ていれば、1週間なんてあっという間だ。
そんなふうにネットの海を何となく漂っていた私が出会ったのが、ジャニーズのアイドルのある楽曲だった。
それは某有名なバンドのコンポーザーが楽曲提供したものだった。
自動再生されたものを湯船に浸かりながら何となく聴いていたあの時の衝撃を、今でも覚えている。
何なんだこの曲、めちゃくちゃかっこいいじゃねえか!!!
私の知っているアイドルではないぞ!!!
あの人が作曲したから、とかじゃなくて、もうこのグループの曲としてかっこいいじゃん!!!
私がアイドルには絶対にハマらないだろうと思っていた理由の一つが、基本的に歌われる楽曲は誰かに提供されたもので、その人のものではないからだった。
作り手と表現者が違うのに、どうやって表現者を好きになり、信じることができるのか分からなかった。
でも、彼らはそんな私の概念を覆してきた。
歌声、ダンス、表情、纏うオーラすら、何もかもがその曲を表現するためだけのものだった。
ある一人の、たった一度の目配せだけで、その曲の世界が私の中にぶわっと広がっていった。
その衝撃のままに色んな楽曲を聴き、映像を見漁った。
一曲、ワンフレーズ、一音、その瞬間の表現のために、全く別人かのようなパフォーマンスがそこにはあった。
パフォーマンスは勿論、衣装、メイク、セット、照明、特効、全てが提供された音楽を自分たちの音楽として表現するために作り込まれていた。
人から与えられた曲を自分のものにし、世界を作り込み、表現しきる。
音楽に対して、表現者としてこれ以上ないほど誠実なグループだった。
作り手ではないかもしれないけど、音楽に持てるもの全てを使って誠実に向き合い、楽曲の世界の中心で空間を支配しきる彼らは、信頼できる存在だと思った。
ジャニーズなんて、顔の綺麗な男の人が、もらった曲を歌っているだけだと思ってた。
本当に本当にごめんなさい、まじなめてました。
凄まじいプロフェッショナルの世界でした。
3.評価されることに攻性な姿勢
これは少し悪口になってしまうけれど、「売れる」という経験をせずに長く続けているバンドって、評価されることに対して無頓着というか、何と言うか。
「そんなの大して大事じゃねえから!」とか言って、人から良いと思われるようにすることはダサいみたいな態度になる。
だからどんなに良いものを作っても、人に伝えようとしないから、人に届かない。だから一生売れない。
人の評価に攻めの姿勢を失ったら、そこにあるのは衰退だけだと思う。
一流の料理人が料理を食べる人の元に届けるのに盛り付け、食器やテーブルの照明など、料理そのもの以外の細部にもこだわるように、
良い楽曲が作れるバンドならそれを人に届けるために、良いと思ってもらえるように、全力を尽くすべきだ。
俺たちは良いものを作ってる!って自己満で、届ける努力もせず、評価を蔑ろにしている姿勢こそ、クソだせえわ。
ここでも私はアイドルに感銘を受けた。
彼らは人に届けるために、それも一人でも多くの人に届けるために、全力だ。
彼らを応援する人が多いということは、そこまでに闘った回数が多いということだろう。
たくさんいるジュニアの中からマイクを持たせてもらうようになるまで、グループの名前をもらうまで、自分たちや自分たちの音楽を好きになってくれる人を獲得するまで、デビューできるまで、どれだけの時間がかかったのだろう。
どれだけの努力を積み重ね、どれだけ人達を出し抜いてきたのだろう。
正直私には計り知れない。漏れ聞こえるものだけでも、それは海賊王になるより難しいものに感じる。
だからこそ彼らは今ある楽曲、立っているステージを大切にしているし、今に甘んじることなく常に先へ進もうとしているのだろう。
そこには「分かる人だけ分かれば良い」や「自分たちが本当に良いと思っていれば良い」なんて、クソみたいな甘えは一切ない。
どんどん評価しろ、絶対に負けねえからっていう、表現者としてとしてのプロ意識を感じる。
本当にかっこいい姿勢で音楽をやっているグループだなって、心から思う。
3.知らんけどさ、幸せなんで私
ジャニーズはどうせ顔でしょって言う人もいる、というか私もこうなるまで多分言ってた。
でもじゃあ、顔だけで何万人ものお客さんを発狂させるようになるための努力したことあんの?って思う。
素材の良さの差はあるかもしれないけど、肌を綺麗にしようやら似合う髪色を追求しようやら、太らないようにトレーニングしようやら、死ぬ気でやったことあんの?
ジャニーズのアイドルはやってるよ。知らんけど。
他人が作った楽曲を、自分たちの物として、1人でも多くの人に好きになってもらおう、そのためにできる以上の努力をして全身全霊をかけて表現する姿。
そんな彼らに、私は夢中になってしまった。
音楽を表現しきること、その空間に居る人達を一人残らず魅了しようという姿勢に、敬意を払いたいしお金を払いたいと思ってしまう。
現に今手に入れられるだけのCDとDVDは買い漁った。まだハマって3ヶ月経つかな?くらいだけどファンクラブ入ったし。
また大好きなエンタメが見つかってめちゃくちゃ楽しいし♪
生きている中で、アイドルにハマる日が来るとは思っていなかった。
正直自分でもちょっと引いてる。
だけど今私、死ぬほど幸せ。💭
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