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なにはともあれ、人生お金でしょ

 こんにちは。中瀬一菜です。
 今日はわたしのお金に関する考え方をまとめたいと思います。

 わたくし、実家は「そこそこの貧乏」でした。電気・ガス・水道が止まるとか、今日食べるものに困るとか、屋根のある家に住めないとか、そういう「ちゃんとした貧乏」ではなく、一見普通の家族ですが中途半端にお金がちょっと足りなくて、ボロボロの家に住んでいたり、スーパーマーケットに行ってもおやつは100円以下じゃないと買ってくれなかったり、家族旅行だって片手で数えられるくらいしか行ったことがない……。周りの友人と比べると、「あれ、なんかわたしの身なりってちょっとみすぼらしい?」と思う。だけど、生きていくには十分。せいぜいその程度の貧乏でした。
 そんなわたしは、色々とありまして、高校で進学校に行くことになりました。やはり、子どもの学力というのは、親の財力と比例関係にあるもので、ますます我が家の「中途半端に貧乏」を恥かしく思うようになりました。持ったさんの娘や息子は、当然にいろいろと買い与えられますから。
 当然のように、医者の子供がゴロゴロといます。親が大卒なのは当たり前。普通の会社員でも大手の企業だったり、公務員だったり、一気に周りの人間の生活レベルが上がりました。でも、わたしは上がってません。


 こんな進学校の高校では、ほぼ全員が大学に進学します。国立地方4年制大学が、「ピンキリでいうところのキリだ」と豪語する教員がいるくらいですので、当然に良い所へみんな進学していきます。
 わたしは、現役のころは失敗して結局一浪して進学することになったのですが、このときお金のことで家族と揉めることになりました。
 私が行こうとしていた大学は、学校の風潮と同調して「ネームバリューがあるけど学費が高い」ところでした。一方で、「ネームバリューは無いけれど学費が安い大学」も受かっていたのでした。
 このとき、わたしは母親に泣きつかれました。やっぱり、我が家の経済状況的に、その大学への進学はできなかったのです。
「子供の思うようにお金を出せない親もつらいんだよ」と涙ながらに言われ、結局わたしはネームバリューは無い学費の安い大学へ決めました。
 このときほど、お金が無い事を恨めしく思ったことはありません。母親を泣かせたというのも、なかなか精神的に堪えました。
 このころのわたしはまだ子どもで、「お金よりも愛だよ」なんて言葉を心の底から信じていました。愛はお金じゃ買えないもんな。我が家は貧乏だけど、それでちょっと恥ずかしいと思ったこともあるけど、究極的にどっちかと言われたらそれは愛だよ。なんて。
 そんなはずはない。
 人間、なにをするにでもお金がかかる。生きるだけでお金がかかる。お金が無ければ、なにもできない。愛情では腹は膨れない。まずはお金を持って、食べるもの・着るもの・住むところを調える。愛とかいうフワフワした精神的な添加物についてどうこう言えるは、それができてから。
 ――そう、人生まずはお金だ。だって、お金が無いから、行きたかった大学に行けなかった。
 わたしは、20歳にもならないうちに、こんなことを考えておりました。

 そして、ずずっと歳を重ね、現在。
 わたしの考えは変わっておりません。人生、1にお金、2にお金、3、4が無くて、5にお金です。
 行きたかった大学に行けなかったことをずっと悔やんでいる……というわけではありません。お金は大切であると、もっと身に染みたからです。
 現在のわたしは、公務員です。ですが、うつ病で休職を余儀なくされおります。うつ病の症状で、まともにモノを考えることができず、なにがなんだか分からないままお休みの手続きをしました。
 このとき、お金のことは一切考えていませんでした。というのも、お金が大事だと分かっていたので、貯金をちゃんとしていたからです。とりあえず自分一人生きていくには当分困らないと思っていました。
 当の本人はこんな状態だったのですが、お金はいくらか振り込まれ続けていたんですね。お給料と名前がついているのかどうかはおいといて、どうやら公務員の場合、休んでいても当分の間は幾らか貰えると分かりました。
 やっぱり、このことが分かったとき、ホッとしました。今まで通り生きていけると思いました。好きな本を買って、好きな物を食べて、好きな服を着てという生活が今後も保障されたことが嬉しかった。病気のことばかりで目の前が真っ暗・頭の中は真っ白でしたが、「お金がある」だけで気分が少し上向きました。

 具体的にお話すると、公務員の場合、給与をいくらか減額したモノを貰えるようになっています。この「給与をいくらか減額したモノ」もお休み期間中ずっと貰えるわけではなく途中で切れるわけですが、その後無給状態かというとそうではなくて共済や互助会から幾らか貰えます。
 ……と、偉そうに書いておりますが、わたしも少し前までは分かっていませんでした。お金のことを心配して自分で調べられるくらい回復できたから、のことです。

 やはり、人生で取るべきは愛ではありませんでした。
 そういうと、なんて冷たい人なんでしょうと思われるでしょう。愛があれば、心が満たされる。心が満たされないことは、お金が足りないことよりも辛い。それに、愛はお金では買えない。公的な保障があるじゃない、お金が無くても大丈夫。
 いえ、お金が無ければ、生きていけないんです。愛がどうのこうのと言う口が無くなるのです。
 辛いとか、悲しいとか、そういうのではない。この世にわたしという人間を保っておけない。公的な保障云々ではない、「お金が無い」という事実が目の前をちらついただけで、震えるほど怖くなるものなのです。

 この歳で、ここまで悟ったようにお金が一番! というと、きっと良くは思われないでしょう。(この話題は人前では絶対にしないと決めております。)血も涙もない! だとか、じゃあ愛情はいらないのね! だとか、言われてしまいそう。
 いえ、愛情もいりますよ。もちろん、お金が一番ですけど。わたくし、欲しがり屋なので、貰えるものならぜーんぶありがたーく貰っちゃう派です。

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