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月が綺麗ですね


今夜は中秋の名月。夜空には光り輝く月が出ていた。

今日は『言葉』について
思っていることを恋愛事と混ぜて話そうと思う。



"月が綺麗ですね"

これは、有名な愛言葉だろう。
わたしは、言葉の裏側にある本当の意味を知ることが好きだ。

これに対する返事は様々あって
「死んでもいいわ」や
「ずっと前から月は綺麗ですよ」などの
言葉がその告白を受け入れる返しとされている。

「月には手が届きませんよ」と言った返しがある。
これは「その思いは届きませんよ」という意味であるらしい。

なんとも奥ゆかしい日本語のロマンチックな言葉たちだ。
ある意味日本らしい隠語なのでは無いかと思う。


人とのコミュニケーションをとる上で
言葉というものは付き物である。
会話、電話、手紙、メール、チャット。
互いに言葉がわからなければ伝わらないし
間違えた表現をしてしまうと相手を混乱させてしまう。
ずっと使い続ける日常にありふれているものであり、難しいツールだと思う。

わたしは、どちらかと言えば言葉を使うことが
下手な人間だ。
言葉足らずだったり、うまく表現できなかったり。
これらが原因で人の心を傷つけてしまったのでないかという経験がある。
その度に自分に学があればと感じる。
だけど、わたしが卑怯だなと思うことは
言葉で伝えられる場所にいるのに無視をすることだと思う。

あえて伝えない美しさや言葉にしない良さも
もちろんこの世にはある。
だけど、それは時に人を傷つける。

わたしは今まで十数名の男性の方と
マッチングアプリなどを通して出会ってきた。
メッセージの中で嫌だと思ったら連絡を一方的に絶つことが可能だ。
そのようなことが今の時代は簡単に出来てしまう。
ボタン一つでその人との出会いを削除できるのだ。

以前、マッチングアプリをやっていて
わたしも何の気なしに次回会うことはないなあと
思った相手をブロックしたことがある。

本当に不愉快だったという人も中にはいるが
そのような事例は除き、相手が誠実に接してくれていようとも自分の中で腑に落ちなかったりしたら関係を続けようとは思わないだろう。

だけど、どうだろう。

相手からすると、また次回もご飯に行きましょうと提案をしたばかりに突然話が途絶えるのだ。
自分が勇気を振り絞って伝えた言葉かもしれないのにそれに何の反応も返ってこない。
こんなに虚しいことが現代には沢山転がっている。
そしてこの虚しさに慣れてしまった者もいる。

わたしはある時、マッチングアプリといえど互いに同じアプリに登録していなかったら知り合うこともなかった人。
ブロックで終わりにしていたことが何度かあったがこれでいいのだろうか?
と、頭を悩ましたことがあった。
人と人との巡り合わせや出会いが薄っぺらいものになってきているように思っていた。
でも、出会った全ての縁を大切にしろ、ということは不可能。
だとしたら、その時その人の前から去る時くらい誠心誠意伝えられることは伝えた方がいいと思ったのだ。

誘われてたものの全く気乗りでない。
要するに失礼な態度で会うことになりかねない。
そう思うと発展する見込みのない出会いで双方、時間の無駄になる。
相手が誠実な相手だと感じるのならば
次の誘いに関してのお礼はし、丁重に断りの文を入れる。
このような選択を取る事が増えた。

この行動が正しいのか相手を傷つけてしまっているのかはわからない。
でも、相手が真剣に考えていたならば自分が持っている言葉で真剣に気持ちに応えたいと思う。
せっかく伝えられる言葉を持っているのに
言わずに逃げたくなくなったのだった。

言わない優しさもあるが言う優しさもある。

ここの塩梅は非常に難しい。
でもわたしが相手のことを真剣に想っている時
本心を隠され、言われないことの方が傷つく。

正直、黙って逃げることの方が簡単なことが多い。
だが、人生で何度か真剣に向き合って
ぶつかってみるのも悪くは無い。
自分の持っている言葉を大事にして思いは伝えたい。

言わない優しさ言う優しさ
伝えないでいいこと、表現の仕方によって
全く意味が変わる言葉。
わたしが大事にしたいものの1つであるから
これからも丁寧に向き合っていきたい。

言葉の世界は広く深い。
まだまだ学びの途中なのだ。
素敵な言葉と今後も巡り会えますように。


今日の月は、綺麗に見えていますか?


me.

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