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読書感想 相手がどう思っているか気になる
今日も「WORK SHIFT 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025> リンダ・グラットン著 池村千秋訳」を基に読書感想をしていく。
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仕事をしていて思う。
「なんか思った通りにいかないな」
当たり前である。
仕事は誰かの要望(需要)に合わせて、自分が価値を提供する(供給)ことだからだ。
自分の思い通りになんていかない。
でもでも、自分の特性、特徴は自分が理解しているので、どの仕事に適任なのかは分かっているから。
(自分のことは自分が1番分かっていないという論には真っ向から否定な立場だ。インサイドアウトの考え方で人生を送っていきたいから。もちろん他者の評価も素直に聞くよ。笑)
要するに「人事」の際に、モヤッとする。
「この仕事は私がやるよりも、、、」
と思うことがたくさんある。
自分は自分のことしか考えないが、人事を決めている人は組織全体を考えて判断している。
でももう少し考えて欲しいなーと思う。
私はスペシャリストに興味がある。あることはめっきり出来ないけど、特定のことには超、実力を発揮してしまう人。私はそれがカッコいいと思うからだ。
だけど、組織はゼネラリストに仕立て上げようとする。私を。
いわば「何でも屋」。主に1920年代以降に登場し、のちに管理職に就くという流れ。
これが一つの企業の在り方の柱になったという。
つまりは私を管理職に仕立て上げようとしているのだな。
いや無理無理。今の自分は求めていない。
「なんか思った通りにいかないな」
と思うのである。
近年では「T型人材」と呼ばれている、広い知識を持ちながら特定分野に深い専門性を持つタイプの人材が重宝されているという。
仕事に関してもう一点。
本書で書かれている3つのシフト(資本の転換)
①知的資本を強化することを目的とする
②人間関係資本、要するに人的ネットワークの強さと幅広さ
③情緒的資本、要するに自分自身について理解し、自分のおこなう選択について考える能力、加えて勇気ある行動をとるために欠かせない強靭な精神を育む能力
そのうちの、②人間関係資本について。
さらに人間関係資本は3つの人的ネットワーク構成されている。
1ポッセ(頼りになる同志)
2 ビックアイディア・クラウド(多様性に富んでいて大規模なコミュニティ)
3 自己再生のコミュニティ(支えと安らぎの人間関係)
2のビッグアイディア・クラウドは、仕事周りでいろいろなプロジェクトから関係を築けそうだ。
3の自己再生のコミュニティは、私は間違いなく「家族」だ。とりわけパートナー。過剰依存になっている節もあるので、依存先を増やせるように心がけているところ。
となるとキーになってくるのが、『ポッセ』である。
大体15人くらいで構成して、頼ったら間違いなく全力で助けてくれる。
そして、助けを呼んだらすぐに来てくれる。
私にはポッセは誰になるのだろう
と考える。
思い当たる人は何人か思い描けるが、、、
ここからが大事。
「わたしもポッセになれているのだろうか。」
要するに『相思相愛』かどうかということ。
(別に恋人じゃないんだから、、、笑)
私はAさんをポッセ(頼りになる同志)と思っているが、Aさんは私をポッセだと思っているだろうか。
どうしてそう思わないといけないと感じたか。
それは、
「長続きしないから」
私はコロナの大流行期にAさんを頼りにした。
すぐにLINEして、
「何かあったら頼むね」
と。
そうしたら
「任せろ」
私も「Aに何かあったらなんでも言ってね。買い出しとかやれることはやるから」
と話した。
これはきっとポッセの関係なんだと思う。
でも私がBさんをポッセだと思っているが、Bさんは私をポッセだと思っていない。
こんな関係だと、私がただの「テイカー」になってしまうのだ。
長続きしません。
だから
「相手がどう思っているか気になる」
となってしまう。
この打開策は、シンプルに「関わっている時間での相手の反応で判断する」しかないのだと思う。
もちろん
「私たちって恋人だよね?」
のように
「私たちってポッセだよね?」
と聞いても良い。笑
恋人関係だとはっきりさせないと気持ちが悪いことを双方が思っていることが多いので(文化的に)、聞くわけだが、ポッセ関係は違う。(ポッセ関係ってなんやねん)
そもそも相手がポッセという言語を知っているわけでもない。
ポッセという言葉を使わなくても、たとえ説明したとしてもちょっと異様な空気になる。
(私だったら、こいつどうしちゃったの?と心配になる)
つまりは、「関わっている時間での相手の反応で判断する」しかない。
相思相愛になっているか。
直接聞かずに、確信を得られるか。
恋心とは難しいものだ。