見出し画像

読書感想 知識を一旦置いてくる

今日は、土日勤務だったので、久しぶりのお休みだ。
午前中は天気が良かったが、だんだんと天気は下り坂。
何よりも風が強い。こういう日は、天気が変わりやすい。

先週に弾丸で家族で富士山近くでキャンプをしてきた。
1日目は見れなかった富士山が2日目の朝から、はっきりくっきりと顔を出し、きれいに見ることができた。子どもたちにも、富士山を見てもらえて嬉しかったなー。
その長距離運転だったためか、ぎっくり腰を発症。
もう何もする気にならない。
どうして人間てのはどこか上手くいかない(痛いところがある)と、そっちに意識が引っ張られるのだろうか。
それでも今日しかないお天気に、この体で、愛車のタイヤ交換をした自分を褒めてあげたい!

さて、今日も読書感想を。
書籍は、「裸眼思考 荒木博行著」である。


早速感想の結論から。
「現代のインターネットの普及によって、情報の民主化が図られた。誰でも情報にアクセスできる。だから知識を完璧に覚えておく必要はない。となると、現代にマッチするのは、荒木さんが提唱している裸眼思考なのかも。だって知識を一旦置いて、ありのままを観察することがしやすいから。」

どういうことか。
私が子どもの頃は、こうやってPCでパチパチと出先で行うことはできなかった。
だから、本で読んだことは、自分の脳に叩き込むように反復練習を繰り返した。
知識をたくさん空で話せる人が賢者で、憧れの眼差しを受けていた。

しかし、今はスマホが1人1台持ち、情報にアクセスできる環境が用意された。
これは、レンズ思考(裸眼思考の対の言葉)を推進していく環境かと思いきや、もしかしたら、裸眼思考に通ずることだと思えたのだ。

本書では、裸眼思考の3ステップとして、「知覚」「保留」「記憶」が挙げられている。
私が注目するのは、「保留」である。
要するに知覚したことを宙ぶらりんにしておくことである。

知覚の本流は視覚である。
視覚で得られた情報を一旦宙ぶらりんにする。
このことができるのは、きっといつでもインターネットに繋げられるからなんだろうと思う。

つまりは、何となくポワンと頭に残っているだけでOK。
いつでも調べられるのだ。

一旦知識を置いておくと、裸眼で物事を見る機会が増える。

目の前で木々が突風にさらされ、大きく言えている状態を眺めることができる。
サーという高い音が聞こえる。葉がたくさんある木々なのかな?

今日は、裸眼思考とスマホ文化の相性はもしかしたら良いのでは?というまとめでした。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集