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読書感想 忘れることは溶け込む感覚に似ている
昨日の日本ダービーはひっくり返りましたね。
3枠5番のダノンデサイルが、第91回日本ダービー馬に輝きました。
鞍上の横山典弘ジョッキーは56歳で最年長G1勝利&ダービージョッキーになる。
私が推していた「ジャスティンミラノ」は2着でした。
直線の伸びがイマイチのように感じた。併せ馬になると力をど根性を見せるところがある(皐月賞のときはそうだった)ので、ダノンデサイルが内からスッと前に出た時に寄せられなかったのが、大きな敗因だったのかなと。
あー悔しい。
さて、今日も読書感想をしていく。
書籍は、「忘れる読書 落合陽一著」である。
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感想の結論から。
「忘れるのは悪いことではない。良くないのは、フックがかかっていない状態まで忘れることだ。大事なのは、読んだ内容が私の体に溶け込むような感覚で入っていくこと。これが忘れる感覚なのだ。」
どういうことか。
忘れることを悪とすることは、知識をポンポンと答えられることが善と捉えていること。それは、インターネットが普及した現代ではそぐわない部分がある。なぜなら、スマホで調べれば大体のことはすぐに分かるから。
スマホは謂わば私たちの知識の貯蔵庫なのだ。
(ちなみにコンビニは我が家の大きな冷蔵庫である。パートナーが具合悪くなったときは、すぐにご飯をコンビニに買いに行く)
ポンポン知識を答えられる状態を、著者は以下のように述べている。
学生に論文の読み方を指導する際も、「覚えることより忘れる能力が大切」とよく言っています。読んだ内容を細かく思い出せるうちは、単に著者の主張を頭の中でリピートしているだけで、それは自分の頭の中に「入った」とは言えないからです。
入った感覚が、私は「溶け込む」感覚なんだろうと思っている。
溶け込んだらどういう状態になるのか。
「なんだっけ、あの考え方と似ているな」
「あれあれ、あの考え方を使うとこの問題を解決できるかも」
「なんだっけ」「あれあれ」なんて言葉が自然と出てくることが、フックのかかった状態なんだと思う。
フックにかかっていれば、ネットで調べて詳しい内容を思い出し、物事の本質に潜り込んでいける。
自分の頭の中に「入っていない」ことを、よく「咀嚼できていない」と表現することも多い。
読書は食事のように、よく噛んで、良質な栄養素として自分の体に溶け込ませられるようになると、また私の体も美ボディになっていくのだろう。
そんな日を夢見ながら。