延命、10人パックで九割引
あれもしたい、これもしたい。でも自分はあと120年もしたら死んでしまう。それより先にバアちゃんが死ぬ。そんな焦りが目を曇らせて、セールスマンと喫茶店で待ちあわせするハメになっていた。
「お待たせしました」
目が痛くなるような縦縞スーツに身をつつんだセールスマンが笑うと下品な口元で金歯が光った。
「いえ。そうですね、とりあえず店の中に」
なるべく喋らせたくなかったので営業なら先に着いていろだのなんだのの罵倒は喉元で抑えた。金歯が眩しい。
ゲノム編集から宇宙旅行まで社会を隙間なく覆う科学の荒波を、薄汚れたガラス戸2枚で隔ていた。その喫茶店内には樹脂を充填して硬めた大正時代があった。案内された席にはジャズと木製のインテリアの他に何もなかった。案外口数の少ない金歯と気まずい沈黙が現れ、やがてメニューが来て、コーヒーと会計札が来た。
「オバあ様がお生まれになった頃は、外側もこんな風だったんでしょうね」
そんな訳がなかった。70年前じゃあとっくに車が空を飛んでる。
「ええ。歴史の授業は取ってなかったのでよく分かりませんが」
世の中に学ぶべきことが多すぎて教育はいささか手薄になっている昨今では、各人の知識の偏りは無視できないほど溢れていた。それでセールスマンなんていう時代遅れのおしゃべり野郎が始末をつけることになっているのだ忌々しい。
「昔の死は離散的で、悲しみはスパイクとして現れていました」
こいつは理系だな。国語は履修免除だったらしい。
「ええと、人に突然死なれると悲しいから、ゆっくり殺すって話でしたよね」
自分の履修免除は倫理だったっけ。金歯は顔をしかめた。
「え、そういう言い方もできますね。ただ、想いとしてはなるべく長く生きてもらって、生物としての境界をボカしながら、ゆっくりと存在を希薄にしていただき、心の準備をですね、」
車が空を飛ぶ時代、老人は脳みそがボケるのではなく、存在がボケるのだ。
🦷
@設裸10年レ月マ日
「バアちゃん、久しぶり」
バアちゃんはメカメカしいボディで若々しく歩いてくる。天井から垂れ下がる延命管は可動式で、常にバアちゃんの脊椎に突き刺さって付いてまわった。
「おやqata彦、久しぶりだわね」
よかった、変換が怪しいけどまだまだ俺の名前を覚えていて元気そうだ。
@設裸13年レ月5日
「カタ彦・モンスター=エナジー・坂田様、カタ彦・モンスター=エナジー・坂田様、42号室へどうぞ」
今どき待合室でフルネームを呼ばれるし、病室が42=死に、で最悪だった。
「バアちゃん、あ、ええ、久しぶり」
バアちゃんは延命設備に繋がれていた。それは想定内だが、設備を隣のxa山さんと共有しているのだ。延命母管を介して繋がっており、距離は50cmで固定だった。色々話したが全部xa山さんも聞いており、何のつもりか相槌を横取りしたりして、三人が気まずくなって終わった。
@設裸14年4月1日
「あぁ、皆さんどうも。バアちゃん、あ、いえ、そのあなたではなく、カタ彦の…」
延命母管は円形になり、5人で共有していた。xa山さんの人格は解けていて、1年間文字通り体験の全てを共有した隣の野zyさんにxa山さんの人格が形成され始めていた。
野zyさんは「指五本全部を露助に持ってかれたんだ、俺は5人殺してやった、だから、指108本だな、煩悩の数と同じだ」と豪語していたので、すごいなと思ったが、どっかで聞いた話で、それはxa山さんのエピソードだった。野zyさんは多指症で指がきちんと六本ずつあった。
バアちゃんは必死の形相で自我を保っていた。俺がいない時も常にあんなんなのだろうか。俺にはバアちゃんが光って見えて、周りの4人は溶けたプリンか寒天かだった。
@欠倫ピ年ャ月5日
発光する薄い緑色の天井から降りる継ぎ目のない黄銅の管が滑らかにクダを巻いていた。そこに十人の命が共有されていると、巡視員から説明があった。にわかに信じがたい。本当に10か?もうみんな解けている。解けて、混じり合わずに存在が霧散している。でも俺のバアちゃんだけは輪郭がわかる。もう一度バアちゃんに会いたかった。もう一回俺の名前を読んでほしかった。
「qaタhico!お茶!」
北北東に繋がれてるブル毛さんだった。あるいは、北北東にあるバアちゃんの一片だった。
@12/15/2022(四国)
延命停止届を出したら、とっくに止まってるらしい。母管に繋がれた内の1人、南西の人らしいが、月賦をブッチして止まってるらしい。じゃあ何のために払ってたんだ俺は。
「カタ彦!」
延命環の方から声がした。全人格を統合した野zyさんだった。彼はフードファイターだったから、さもありなん。
「モンエナ!」
今度こそバアちゃんの声だった。バアちゃんの内側に自販機が形成されていた。
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