私のバイリンガル(結果的にトリリンガル)育児あれこれ:生まれてから幼稚園まで(その1)
娘はアメリカ生まれ。赤ちゃんの頃の育児で覚えているあれこれを書こうと思います。(もう20年以上前なので。。。)出産エピソードについては
を良かったら読んで下さい。
私は当時20代後半、健康だし元気は元気だけど、初めての育児をほぼ一人で行っていたので、今から考えたら孤独だったなぁ、良くもまぁ精神的にも何とかやれてたなぁ、若かったから乗り越えられたのかなって思います。
私の両親は関西、夫の両親も同じアメリカ国内に住んでいるとはいえ、飛行機での移動が必要な距離だったし、夫は弁護士になって数年目のペーペーのアソシエイト、丁度同じ時代の映画The Firmの様な法律事務所で毎晩夜中の2時とか3時に帰ってくるし、2日前に出張決定とかでヨーロッパに2週間とか何度も行っちゃってたので、本当にある意味一人で育ててました。今でいうワンオペ育児、ですね。勿論夫はトム・クルーズみたいにカッコよくはありません!
最初の頃は友達は一人だけしかいなかったなぁ。パーティで知り合った夫と同じ法律事務所に同期入所の弁護士の奥さん(ドイツ人:友人Gとする)のみ。年も近いし、国際結婚だし、とわりかし仲良くしていたかなぁ。
娘が生まれて2,3か月の頃、私の夫が出張で長期で不在の時が続いて、友人Gのご主人も出張で暇だから、という事で住んでいたアパートに朝から夕方まで毎日1週間以上連続で遊びに来てくれたことがあった。きっと友人Gもドイツから一人でアメリカに来て、知り合いがいなくて、私達お互い寂しかったんだと思う。2人でしゃべって娘のオムツ代えて、昼から一緒に散歩して夕方アパートに戻る、ってことを1週間続けてたら、友人Gは金髪で髪もショートカットだったんだけど、ある朝友人Gがまた来た瞬間に娘が『?あなたもしかして私のダディなの?』っていう様な態度で抱っこされても全然違和感なくご機嫌に過ごしだしたので、二人で大笑いし、「きっとこの子はもう本当のお父さんを忘れてるね~!もしかして私の事お父さんと思ってるのかな?」ってびっくりしたことは覚えている。子供の記憶の短さってすごい。。。って思ったなぁ。(因みにその後、夫が出張から帰って来て、娘を抱っこした時、娘は最初夫を友人Gと思ってたみたいで、でも抱っこされて、声とか大きさとか違うから、激泣きしてた。。。もう完全にお父さんの事を忘れてたんです。。。)
その後、友達を作ろうと思って、赤ちゃん教室みたいな所(今でいうリトミッククラス)にも何回か通った。しかしそこで母親が赤ちゃんに向かって歌うアメリカの子守歌(Hush Little Babyとかitsy bitsy spider、paddy cake paddy cake bakers manとかの歌自体を全く知らなかった(聞いたこともなかった!)ので、アメリカ人新米ママ達が自分の子供達に歌ってても自分は歌えないし、でも「知らないよ。」ともはっきり言えなくて、口パクで一緒に歌ってるふりしたなぁ。(生まれた瞬間から娘には日本語のみで話しかけてはいたけれど)その時に「やっぱり私には英語で娘を育てる自信がない。英語力もないし、アメリカの文化も思っている以上に知らないことばかりだ。だからやっぱり日本語だけで話し、日本の文化を教えよう。」って強く感じたんだよね。だからそれからは娘には「ぽっ、ぽっ、ぽー、鳩ポッポー。豆が欲しいか、そらやるぞ~♪」など日本の子守歌のみを歌い、英語の歌は諦めたのだった。(でも娘はテレビとか義理の両親とか、夫などからきちんとそれなりにアメリカの歌を聞かせてもらってた。何とかなるもんです。)
結果的にはそれが全部よかったなぁ。長くなったのでまた次回❢