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フランスの高校生が、本当にこれを学んでいるとしたら、相当タフではなかろうか。
数ヶ月前に
「フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書」
を読みました。
フロイトの「夢診断」に興味を持ち、それ繋がりで手を伸ばしたこの本。装丁からライトな内容を想像しましたが、私にとっては大間違い。
超劇薬でした🧪💥
…本当にこれを学んでいるとしたら、フランスの高校生のみんなは、相当に強靭な精神力を持っているんではなかろうか。
私は強烈なショックを受けてしまいました。
よく寝込まなかったな。。
いや、そういや何回か寝込んだわ。
何か信じているものを持っている人には、強烈な冷や水。カウンターを食らう可能性が高いです。
思い当たる人は、下記引用は読まない方が良いと思います。絶対に。
しかし、より深く、客観的に自己分析する勇気のある人、哲学、心理学の深みにはまってみたい人はここを避けては通れないと思います。
覚悟がありましたらどうぞ。
精神分析においては、夢や言葉を「解釈」し、分析者と患者は理性によって、日々の暮らしのなかの心理を解き明かす。さらには、そこから実生活を実際に好転させる(改善、回復、決断に至る)こともある。「解釈」という過程を経て、理性は、ただ現状を理解するだけではなく、現状を変えたり、新たな展開へと導いたりすることもできるのだ。
だが、逆に、理性による解釈が間違っていたり、行きすぎだったりすることで、むしろ非論理的になり、非現実的になってしまうこともある。パラノイアや迷信家は、この過剰な「解釈」の犠牲者である。どんな些細なことでも、自分に向けられたメッセージのように思ってしまうのだ。こうしてパラノイアは自分が攻撃されていると被害妄想を膨らませ、迷信家はすべてが運命だと思い込む。過剰な解釈は、理性による現状把握を妨げるものである。
…大丈夫でしょうか。
私は読み返すだけでも、ここから受けた傷が痛みます。。
前半で、そうだよね!と持ち上げられて、
後半で奈落の底へ叩き落とされてしまいました。
再起不能になるかと思った。
しかし、客観的になることの大切さを忘れるな、と愛の鞭を受けた気分です。
結局、何に関しても、信じるか信じないか、判断するのは自分しかいないわけです。
そこは誰にも縛られようもありません。
心だけは自由。そうであるはず。
このフェイクだらけの情報過多社会。
みんな自分なりに、目に見えるもの、見えないもの、何かを信じて拠り所にして生きていると推測します。
ただ、価値観の違う他者と関わって時には手を取り合って助け合わなくてはならないのは事実。
それぞれの価値観を尊重しつつ、客観的に自分のバランスをとることの大切さから目を逸らしてはならないのだなぁ。
しかし、自分なりの軸が揺らぐと怖い。
本を読むのが怖くなる。
でも、折れてはいない。
怯まず、読書の旅を続けます📚
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