アナ雪感想考察 -四季版が解釈の一致が凄くて圧倒的感謝-
※『アナと雪の女王』の観劇感想&考察です
※四季版はもちろん、映画1.2のネタバレを含みますので、ネタバレが嫌だよ!という方はそっと記事を閉じてください
※妄想も多分に含むことをここに宣言します
はじめに
先日、やっとこ劇団四季版のアナ雪を見て参りました。
前情報として「開始早々泣ける!」「号泣!」と聞いていたので、大きめのハンドタオルとマスクの替えを持って行ったんですが、大正解でした。
隣に女児が座っていたんですが、ごめんね……20ぐらい歳離れてるお姉ちゃんが隣でひっくひっく号泣しててビックリしたよね、ごめんね………。
お姉ちゃん、尊いものに弱い共感性高め女なんだ……。
とりあえず言わせてほしい
いやほんと、脚本と演出天才じゃないですか!!?!?
いやそれを理解し体現するキャストの皆皆様、衣装をはじめとした技術スタッフの皆皆様方の力があってこそ、実現しているということはわかってるんですけど、脚本演出神じゃない!!?!?
パトス?パッション?なんかもう、感情がはじけて止まらなくって、観終わってから同行者に何回落ち着けって言われたかわからんぐらいでした。
映画版日本語訳とミュージカル版日本語訳との歌詞の違いに関しては、毎度おなじみで賛否両論あるのかなと思いますが、私個人としては基本的にミュージカル版の歌詞超ええやん!!派です。
エンターテイメント性や親しみやすさ重視かな?と思う映画日本語訳版よりも、ミュージカル版は心情や状況の補填がされていて理解を深めるという意味でファインプレーだと思いました。
ほんま天才、ファインプレー、ありがとう、圧倒的感謝。
そもそも映画版の個人的解釈
映画版は何度か見ていますが、初見の感想は、姉妹尊いでした。
何度見てもやっぱり、
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姉妹尊い。最高。ありがとう。男たちは添え物でよき。エルサとアナはもっと幸せになるべき。オラフ、キミはそのままでいてくれ。(早口)
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となったので、極端な話、アナ雪ってエルサとアナとオラフがいれば成立するなって(暴論)。
映画版だと姉妹の関係性や心情、その変化が略されている部分が多くて考察のし甲斐があるといえばある状態でそれもまた良きでしたが、(いやそもそも父の判断が騒動を大きくした要因の一つやんけ!?)と疑問があったりで、
気がついたら(私が少しでもエルサとアナを幸せにするんや……!)とあれこれIFの妄想に耽るほどのエルサアナ姉妹強火担になっていました。
小説版も買い申した。
長編アニメーションの場合、"愛"についてをテーマにすることが多い印象があるディズニーですが、
「アナ雪で描きたかったテーマは圧倒的に"姉妹愛"でしょう!?!?ねぇ!?そうでしょう!!?」と肩揺さぶって確認したい程度には、姉妹強火担になってました。
いや、でも仕方がなくない!?あんな描き方されたらさぁ!?ハンスもクリストフもほっといて、とりあえず姉妹愛でしょう!!?!?
と、強火担の私が申しております。
四季版で良かったところ
描写の補足が神
先にも書きましたが、まずなによりも、エルサとアナをはじめとした登場人物それぞれの、心情や状況がより詳しく描写されていた点が素晴らしいと思いました。
もちろん、映画でも描かれているわけですが、より掘り下げているというか、詳しく補填がされていて、
映画版と比較をした時に、キャラクターたちの行動の意図や、その思考になった要因がかなり明確になっていたと思います。
なんなら、私の事前妄想と解釈が合いすぎて、(ああ゛ぁ゛〜〜〜!!!!尊!!!)ってなりました。
例の事故の後、いかにエルサとアナがそれぞれの苦しみを抱えてすれ違い、また、どれほど互いを想いあっていたかがより明白になっていて、いやほんとにね……尊い……好き……。
すれ違い想い愛が刺さる民としては百億万点の流れでした。ありがとう。本当にありがとう。
演出技術も神
技術というか、演出面での話をすれば、
演出でプロジェクションマッピングをここまで全面的に使ったのは、四季作品の中でも初の試みなんじゃないかと思いました。
プロジェクションマッピング自体は、パリアメでも使っていたかと思いますが、演出としてここまで大々的にというか、メインの演出で使ったのは初なんじゃないかなと。。
記憶が怪しいのと、劇団四季の作品を全部みているわけではないので断言はしませんが。。。
エルサの魔法をどう表現するのかとワクワクしていましたが、こうきたかー!やられたー!すごいー!!ってなりました。
凄すぎて語彙力なくなっちゃう。
これまでの四季でも良くあった、人や物を使った演出(波とか、スローによるスポット当てとか、キラキラの凍った森とか)も当然ハイレベルでありつつ、
プロジェクションマッピングという新しい技術をうまく取り入れて、それぞれの技術の相乗効果によるこれまでと一味も二味も違った良さを引き出している素晴らしい演出でした。
こうした新旧の技術・演出の融合が見れた点も、劇団四季としての根底というか、劇団四季としての芯はしっかりあるものの、新しい技術も積極的に取り入れるチャレンジ精神と柔軟さを目の当たりにできたと思います。
劇団四季はすっげぇんだぞ!!
映画版とミュージカル版の相違点
シナリオというか流れ的な話をすれば、下記はカットでしたね。
マシュマロウ関係
オオカミに追われるシーン
クリストフのソリ関係
身も蓋もない話をすれば、この3点ってアクション性というか、エンターテイメントとしてのワクワク感のための要素で、
本筋として絶対に必要だったのかと言われると、そうでもないシーンだと思います。
まぁ、アナとクリストフの関係を深めると言う点でいえば、必要なシーンだったかとは思いますが、ミュージカル版では「愛の何がわかる」でうまくギュッギュッと凝縮してたのでカットカット的な。
私この曲とても好き。
登山という物理的な物語としての進行
愛の育み方の議論を通したアナとクリストフの関係性の進展
という2つの要素をうまく織り混ぜ、物語の進行上としても、2人の関係性の進展としても、かなり綺麗にギュギュッとまとめた良曲だと思います。
ディズニーミュージカルらしいコミカルさもありながら、根本的なテーマである愛についてを山登りに喩えて議論し合い、山登りという冒険を通してアナとクリストフの関係性の変化を巧みに表現していて、もう素晴らしいの一言です。
そもそもメロディーがめっちゃ好きなんですよね。あの感じ(音楽ジャンルの話よくわからないのでぼやかす)めっちゃ好きです。
アナとハンスの立場から見る行動の掘り下げ
小さい引っかかり
「愛の何がわかる」曲中で引っかかった部分がありました。
それが下記のやりとりです。
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「本で読んだのか?」
「本は好きよ!」
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クリストフが「(あんたが言う愛への知識/見解ってのは)本で読んだのか?」的な意図の問いかけをしているのに対して、
アナが「本は好きよ!」と返答しています。
その後の流れを見るに、ここのアナの返答は「本」と言うワードにだけ反応していると私は受け取りました。
このアナの返答は私が個人的に思っている、自分が気になった点のみに焦点を絞った反応をしてしまい、相手の意図を理解しきれない、うまく会話のキャッチボールができない人の特徴に当てはまるんじゃないかなと思いました。
(もちろん、うまく会話のキャッチボールができないのは、言葉足らずなどボールを投げる側に原因があることも多くありますので、どちらかが悪いとかいう話ではありません。悪しからず)
おそらくアナに関しては、幼い時分に両親を亡くし、国全体が混乱に落ち入っている中で城が閉ざされ、王族としての教育や赤の他人とのコミュニケーションを取る機会が最低限になっていたんじゃないかと思います。
そんなアナに対して、エルサはきっちりと教育を受けているように見えるので、10代で成人後すぐに女王となることが確定してしまったエルサに教育が集中したのかなと思いました。
いや、魔法偶然あたっちゃったよ事件以降のエルサって大きくなればなるほど人を拒絶するようになっていたので、教育受けれたんか……?って疑問もありますけれど。。。
お母様とかお父様からある程度の基礎的な部分は習っていて、その後は文献などを通して独学したのかな。。。
ともかくとして、あまり映画内ではふれられていなかったように思うアレンデール内でのアナの立場に関してミュージカルではきっちり触れていたなぁと……
つまり、エルサに何かがあった時のスペアであるという王族的な宿命というか、現実的な立場を、アナは認識していたんですよね。
ミュージカル内ではこの要素が明確になったなぁと思いました。
ハンスの思惑
このアナに対する引っかかりって、恐らくなんですけど、ハンスのミュージカルオリジナル曲「サザンアイルズのハンス」につながるのかなぁって、
つまりハンスに「エルサは無理でも、アナなら付け入る余地があり、兄たちを、サザンアイルズで自分を見下してきたやつらを、見返せるような権力を手に入れるために利用できる人物である」とある程度確信を持たせるための要素なんじゃないかと思いました。
「サザンアイルズのハンス」の歌詞、というか台詞、
「最高だよねっ!」のニュアンスは、自身の立場への皮肉とか、自国の人々からの受けている自身の扱いへの怒りとか、そんな立場に居続けている自分への嘲笑のように思えました。
ハンスにとってサザンアイルズ内での自分の立場や兄たちとの関係は、屈辱であり、晒したくない疵なはずです。
それでもその疵を明らかにしたのは、アナから切られた「エルサのスペアってこと」というカードに対して、
なんとしてもアナの婚約者の立場=次期王配という強い権力を持った立場を得たいハンスが、アナの興味と共感と同情を誘う必要があると考えた時に出せた最強のカードが「似たような疵を晒すこと」だったからなんじゃないかと思いました。
そう考えると、ハンスって笑顔で苦渋を飲み、屈辱に耐えて、淡々とチャンスを狙っていたかなりの野心家ですよね。
反骨精神とガッツがある、そういうキャラクター、私は大好きだ!
ハンスもなぁ〜いくら目の前に絶好のチャンスが来たからといって、焦らずに進め方を間違えなければ、目的を達成できたかも知れないですよね。
まぁ?最終的に?姉妹愛の前には?付け入る隙が無かったわけですけれども???
アナの行動原理
こうして「扉あけて」で、まんまとハンスの思惑に引っかかったアナなわけですが、この流れって、アナの王女としての教育が不十分であり、赤の他人とコミュニケーションをとる機会がなかったことの表れでもあると思います。
要するに、未婚で若い王女であり王位継承権も持っているという自身の価値への理解が足りず、他人からの好意や善意でコーティングされた悪意を察するための経験が足りていなかったと。
だからといって、アナは全くの無知でもなければ、考えることができないわけでもないし、むしろ、冷静で判断力も行動力もあるキャラクターだと思うんですよね。
ちょっと奔放というか、感情に振り回されるところはあれど、通常状態なら感情面の制御はエルサよりも巧みだと思いました。
というか、ミュージカル版のアナのエルサに対する行動って、最初のテンション爆上がりなある意味混乱状態の中でハンスの思惑に引っかかって「ノリで入籍しまぁ〜〜〜す^^」しちゃった時以外、基本全部正解選んでるんですよね。
この正解というのは、例えるなら、ギャルゲの選択肢で1番好感度が上がる選択肢を全部引いた的な意味です。
流石、10年以上エルサを想い続けてきた、対エルサ特攻型妹。
アナは事件以降、魔法に関する記憶がただただ、エルサと遊んだ記憶に変わっている状態で、それでもその思い出を胸に、エルサを想い続けていたんだと思います。
というか、両親が亡くなり、そうするしか縋れるものがなかった状況でしょう。
きっと、城の大人たちは最低限にされたがために構われることも少なく、ひとり遊びが得意な孤独な幼少期を過ごしたんだと思います。
「雪だるま作ろう」とかほんとそうですよね。
後編に続くのじゃ
というところまで書いて、エルサを深掘りするために、アナ雪2をみたんですが、
再び(あぁ゛ぁあああ゛〜〜〜〜〜!!!!尊!!!!)
となり、めっちゃ長文になりそうだなと思ったので、後編に続きます。
後編予定だった中編が公開中です。
今回よりも妄想がすごいかもしれないですが、お暇なときにでもお楽しみください。
ヘッダー画像は下記からお借りし、作成いたしました。
素敵な写真とその提供に感謝御礼申し上げます。
【Bonnie KolarikによるPixabayからの画像】
▼修正履歴
2022/09/19:ヘッダー画像/目次/改行追加、タイトル修正
次回の考察が四季版に限った話ではなくなったのでタイトルを修正しました。
2022/09/09:加筆修正、誤字修正