”その先”を生きてみたからこそ受け取れたプレゼント ~30年越しの質問から~
★写真は、30年前から変わらぬ実家裏の田んぼに映る夕日の風景です★
幼少期を過ごした地元を離れてずいぶん経ちますが、両親は変わらずの場所に住んでいます。
母が行っている地域の活動を通して、私の幼稚園の頃の担任の先生と母が再開したのが、3年ほど前。
私のことを「覚えているよ」仰ってくださる先生に、最初は母も私も「ある程度、話を合わせてくれているだけかしら?」なんて思っていました。30年以上前の話だし、毎年多くの子どもたちと関わっていただろうし・・・・と。
でも関係が深まり、いろいろ話すうちに「どうやら本当に覚えてくれているらしい!」となり。私の近況を知らせると喜んでくださるなど、関係が続いていました。
そこからまた数年が経ち、先日、母から電話をもらいました。
~ある日、幼稚園生だった私が幼稚園で大泣きしていた。友達や先生が何を聴いても理由を言わない。先生は、『そうなのね、涙が出ちゃうのね』と声を掛けて、『じゃあ、涙が止まるまで傍にいてあげるわ』と、横についていてくれたそうでした。すると、ほどなく泣き止んで、元気に遊び出したという出来事。~
『あの時どうして泣いていたの?』という質問。30年越しに母を介して、先生は『教えてほしいな(*^_^*)』と、私に尋ねてくれたのです。
本当にびっくりしました。
実は私は、先生がそんな対応をしてくださったことは記憶には残っていませんでした。でも、ある日大泣きして、友達に「どうしたの?」と聴かれても、理由を言うわけにはいかず、聴かれればきかれるほどに涙が出てきて号泣した日があったことは覚えています。。。
それは。
「お母さんが迎えに来てくれなかったらどうしよう」と、ふと不安になった、それだけと言えばそれだけのことでした。でも、考えだしたら止まらない。もう会えなくなったら?なんて想像が膨らみ、必死で涙をこらえる顔が友達に見つかり、「泣いてる?」「なんで?」「誰かに何かされた?」と、寄ってたかって大騒ぎになり、とはいえ恥ずかしくて理由も言えず、ますます涙は出るし、というのが私の記憶です。
きっと、この日のことだろうと思い、先生にはお礼方々、ぜひ伝えてほしいと母へ伝言しました。
私が記憶していることは上述の通りであって、先生が声を掛けてくれたことや、泣き止むまで傍にいてくれたことは覚えていません。でも、30年越しにそんな事実を知り、心底あったかい気持ちになりました。
30年前の幼稚園で号泣した日のことは、
・当時の私にとっては「恥ずかしいこと」
・成長した私にとっては「泣き虫、弱虫としての記憶」
でしかありませんでした。
ですが!
30年経っての今、先生から届いた質問によって・・・
・自分を見守っていてくれた存在への感謝の気持ち
・そんな大人に囲まれて育った私の人生、けっこうすごい!ありがたい!
・幼稚園児にだって、人に言えない涙の理由がある(現在幼稚園児の息子に対し、彼の気持ちを尊重しようと思えるに繋がる体験でした)
こんな体験にかわりました。
今のこの体験は、あの時 号泣した私がいたからこそ。そしてその先を生きてみたからこそ受け取れたプレゼント(*^_^*)!
今日が、未来の自分へのどんなプレゼントにかわるかと期待も込めつつ(笑)、1つ1つ進むしかない今日を、この自分で重ねていこうと思います♪
松本コミュニケーション研究所は、人との対話を通じて自分の言葉を聴き、自分への理解を深めることで、目をつむりがちな日常にひそむリスクにいち早く気がつき、ひとつでも多くのリスクを回避いただけることを目的に活動をしています。いただいたサポートは、目いっぱい大事に活かします!