松本コミュニケーション研究所
見ようとしないと見えないことはたくさんあって。そこには大切なものが詰まっていて。忙しく過ぎ行く日常で、足を止め、自分に目を向けてあげて頂けるきっかけであれたら嬉しいです。#言葉 #自分磨き #会話 #感謝 #日常
「こんな自分に出会ってしまった」ともあれ、自分への理解を深めることは、生きる力になると確信している私。自分の言葉や自分の内面へ向ける視線を綴っています。/吉川友紀
自分を大切にするとはどういうことか。言葉を使うとはどういうことか。自分とは何者なのか。そんなことに思うところある方に読んでみていただけたら、何かのヒントを手にして頂けるかもしれません。
「連載_自分の言葉を自分のために使う」に登場した世界に通じていることがみえやすい言葉をとりあげ、言葉と現実の繋がりの可能性についてつづっています
私は、「自分の世界(現実)は自分の言葉で創られる」と思いから、日常生活の言葉を選んでいます。 社会人になりたての頃、会社の愚痴をこぼす私に、「あなたの言葉は汚い」と母に言わせた私が、「言葉」を生業にすることになるとは、人生って…。 ここに至るまでの詳細は、ライターの三本夕子さんが、私の幼少時代から今までを聴き取り、そこに、三本さん自身の体験を交え、全6回の連載に仕上げてくださいました。 まだご覧になっておられない方は、ぜひまずは、言葉の数は多くないのに、景色の見える、温
Vol.6 私の言葉 私は書き言葉を仕事の手段としています。 そうでありながらも、「言葉」というのはどこか掴みどころのない 不思議な存在でした。 松本さんに出会い、「自分の言葉を自分のために使う」というお話を伺い、 「言葉」の力をもっと知りたいと思いました。 セッションを受け、そしてこうして松本さんの人生の一片を 言葉に記すという体験を通じて思うことは もっと言葉を世に放とう ということ。 人に語るのでもいい。文章として書き記すのでもいい。ひとり言でもいい。
Vol.5 世界はやさしい松本さんのセッションの中で、投げかけてくださる言葉の一つに 「世界はやさしい」というものがあります。 そのたびに、肩の力が抜けて開放されるような気持ちになる言葉。 大好きな言葉です。 最初にその言葉を投げかけてくださった情景は、今でも鮮明に残っています。 はじめて松本さんにお目にかかった日は雨でした。 土砂降りでこそありませんでしたが、その時季には珍しく本格的な雨。 足元が濡れる雨は嫌われるものですが、松本さんは 「今日は雨でよかった
Vol.4 自分が自分を大事にする2年半の引きこもり生活の後、一度現場管理の仕事で社会に復帰するも、思うところあって、歩み出したカウンセラーの途。 建設業界からカウンセリングへ―最初に経歴を伺ったときには、ずいぶんと大きなキャリアチェンジに踏み切られたのだなと思いました。 けれど、取材をしてその背景を知れば知るほど、そのつながりはごく自然な流れであったようにも感じました。 誰かの支えになる。喜ばれることを果たす。 松本さんの生き様に一貫している主題です。 「お客さん
Vol.3 母のお守り「人との関係」に思い悩むことは多い。 家族、仕事、恋人…。人が人として生きる限り、大なり小なりの“人間関係”問題はつきまといます。 特に、「母」という存在がその人の根幹になることが、私の個人的な所見ですが、多いように思います。 松本さんの取材の中でも、「母」は多く登場しました。 生まれた時に斜頸だった松本さん。 その治療にと、お母さまは1年間、1日も欠かさず針治療に通われたそうです。 当時お母さまはリウマチだったのですが、時代が時代。 大家
Vol.2 好きなことを取り上げられて私はカウンセリングやコーチングについて専門知識もなく、学んだこともありません。 ですから私見の範囲で、松本さんがされるセッションは、彼女自身の体験に大きな礎があるのではないかと感じています。 松本さんの社会人人生のスタートは、建設業界の施工管理の仕事だったと伺いました。 女性でも手に職をつけてお金に困らない生活をしたい。 そんな幼いころからの想いで高等専門学校の建築科へ進み、建設業界へと飛び込んだそうです。 仕事はとても楽しく、
みなさん、はじめまして。ライターの三本と申します。 昨年末、ご縁があって松本真紀子さんのインタビューをさせていただきました。その取材では、松本さんの幼少時代から、「危機予見感覚ならびに対応能力向上コーチ」として独り立ちされる直前までのお話を伺いました。 さらに、私自身も松本さんのセッションを半年で3回ほど体験してきました。 その体験は、私にとってどこか雲をつかむような、それでいて自身の中で、そして私の周りの世界で、何かが確実に変わっていくという、摩訶不思議なものとなりま
①、②とお届けしてきた買い物同行体験記。最後の③をお届けします♪ ★①はこちらから ★②はこちらから 前回、②の体験談のさいご: 30歳も過ぎた今、「だって昔、お母さんがそう言ったから・・・」 なんてことに影響されていることを認識し、正直なところ、驚きました。 でも、自分の中に確かに抱え続けていた感情でした。 値段のことも考慮してくださりながら、写真撮影をした「その後」の私にライフスタイルにどう活かせる可能性のある服か、というところまで言葉にしていただきました。
前回の続きの体験談をお届けします♪ ★前回の記事はこちらからご覧いただけます 前回の体験談のさいご: 私は、試着する手前で大いに抵抗しました(苦笑)。 「こんなの着たことないんですけど!!」 「これ、私が着てもいいんでしょうか・・・」 *** <体験談> そんな私をその都度、 「そうなんだね~」とそのまんま受け取って頂き、 「一度、着てみたら~!?」とも声を掛けていただき、 「う・・うん、、、ならば・・・着てみるだけなら・・・」 ほんの少しずつでも自分が手
「自分の声を聴く」が日常で役立つシーンは数多くあれど、 『例えば具体的にいつ、どんな形で?』 ●このイメージを深めていただけたらという思いと、 ●「自分の望み」 (←別の記事です)を観る機会を持っている私でして、「こんなこともできるんだ。もし自分だったら、日常のどんなシーンで、どんなことを手にしたいかな?」と思いを馳せていただけたら という思いで、今日は、お寄せいただいた体験記をご紹介します。 *** <体験談> 仕事上で、活動プロフィール写真を撮影する予定があり
「吉川さんは、どうする予定にしてるの?」 「ぜひとも一緒に、と思ってるけれど、どう?」 先日、こんなお声かけをいただきました。その瞬間、自分の中でいろいろ感情が渦巻き、そしてスーッと引いていきました。 様々なものが引いていった後に残った気持ちは、シンプルに「私も、ぜひ、ご一緒したいです」でした。 そうして気が付いたら、長い間宙ぶらりんにして判断を先送っていた件について、「行く!やる!」の自分で諸所の行動をスタートできたのでした。 *** 皆さんは、手にしたいものは何
★写真は、30年前から変わらぬ実家裏の田んぼに映る夕日の風景です★ 幼少期を過ごした地元を離れてずいぶん経ちますが、両親は変わらずの場所に住んでいます。 母が行っている地域の活動を通して、私の幼稚園の頃の担任の先生と母が再開したのが、3年ほど前。 私のことを「覚えているよ」仰ってくださる先生に、最初は母も私も「ある程度、話を合わせてくれているだけかしら?」なんて思っていました。30年以上前の話だし、毎年多くの子どもたちと関わっていただろうし・・・・と。 でも関係が深ま
なぜ、そうなる? なぜ、それをする? 自分だったらその選択はしない。 そんなことに出会った時に、人は苛立ちを覚えたり、憤りを覚えたり、あれほど言っているのにと自分の無力感を感じたり。。。 想像できるシーンはあるでしょうか? 例えば 相手の身体を心配して、お酒やたばこ、糖分を控えるように言っているのにやめてもらえない。 こうしてみては?とアドバイスして、分かってもらえたような反応だったのに、一向に取り入れられる気配がない・・・のわりに、相談され続ける とか。。。
母の日。長男が、幼稚園で制作をした、画用紙で作った似顔絵をくれました。メッセージカードも同封されていました。文字は担任の先生のものなので、子どもへインタビューして書いてくれたようです。 おかあさんのつくるおりょうりですきなもの おこのみやき・たこやき (・・・きっと、自分の好きなもの書いたよね 笑) おかあさんのすきなところ わらっているところ (キャ!嬉しい!ハグ!) なおしてほしいところ ない ん??ああ、なおしてほしいところとか、書かれるんだ!(汗) そして、な
長男5歳、次男2歳。 夕食の後片付けをしていると、ソファーの方角から ウヒャヒャヒャ と、絶対悪いことしていそうな声が。 「お母さん、見て~!」の声に、近づいていくと 案の定。 座布団カバーに水性マジックの渦巻きと「は」の文字。 状況から察するに、 ・次男が暴走、渦巻きを描く。 ・長男、それを見て大興奮。自分も ひらがなを記す。 という様子。 ・「ここには書かないでね」と言いつつ、絶対二人ともそれは分かっている →説教しても意味なし。 ・ペンを取り上げて叱ってみた