地道な王道、機会の平等
■美術や映画などの指導的立場、男性率8割近く「女性が評価されづらく、多様な表現きえる」 表現の現場調査で浮き彫り
(弁護士ドットコム - 08月24日 15:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=7084233
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「機会の平等は目指すべきだが結果の平等は目指すべきではない」
「結果だけ揃えても失敗する(事例:ソビエト連邦)」
おそらく私の意見は少数意見だという自覚はあるので多数派の方々を説得すべく、この手の話題が出るたびに書いている。
大前提はまずは「実力主義であること」だ。
女性の参入が多い分野だったり、参入者は半々でも女性のほうが実力者が多い分野で
あれば、自ずと女性の比率が高くなる。昭和大学医学部で行われたような「女性という理由での不利な扱い」は当然に撲滅すべき課題だ。
一方でそもそも母数となる参入希望者の男女比に偏りがある場合は結果として男女比が半々にならないのは何ら差別ではない。この記事にある「美大の教授や学生」の場合も、もともと望んだ人数(母数)が出なければ調査としては不十分である。
大前提の実力主義が成立したとして。
次は「男女の比率を半々にするという結果」だけをむりやり達成するとどうなるか?女流棋士トップ10で男性棋士相手に勝率3割こえというくらいだろうか。大半の女流棋士は男性棋士相手に勝率1割がやっとであり、下位グループは女流棋士ばかりということになるだろう。それではあまり意味がないのではないか。
大前提の実力主義が成立しているであろう将棋のプロ棋士で女性が少ないのは個人能力の問題ではなく単純に母数(競技人口)の問題が大きいと私は見ている。女性のすそ野が広がればおのずと互角に近づいていくのではあるまいか?
結局
①実力主義での評価を徹底して女性への不利な扱いをなくし
②競技人口という参加者の母数を増やし
③個々の女性に実力を発揮してもらう
という地道な王道以外に本質的な解決策はないと思うんだが。
②③をすっ飛ばして女性に下駄をはかせて人数比率だけを上げる「結果の平等」をおこなったとて。①がある限り、将棋では男性棋士が上位にいくだろうし、たとえば大金のかかった裁判で、「実力以上に女性というだけで下駄をはかされたかもしれない女性弁護士」に依頼できる人間が果たしてどれだけいるかということだ。
「結果の平等」をむりやり行う時点で「機会の平等が失われる」という点を失念してはなるまい。
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。