【将棋】父母を倒した道場破り相手に格下兄妹が姑息な知恵を巡らせた話
*事実に沿っている者の基本はフィクションです
招かれざる侵略者は教室の第一部終了間際にやってきた。
実家の将棋教室、妹が終礼を行っている時、外に来客の気配があった。車いすの男性とそれを押している女性が近づいてくる。
ハナー『? 道でも聞きたいのかな?』
我が家は主に「小学生の生徒さん」と「女性」を顧客とする将棋教室である。母が定年退職した父をたきつけて、ガレージを改装して作った手狭な将棋教室だ。おかげさまでかれこれ15年運営をしている。付近に競合もなく、教育熱心な土地柄も手伝って、特に営業努力をせずとも顧客はひっきりなしであり、心苦しいことに一部お断りをする状況が続いているくらいである。「地域密着型」とでもいおうか。
というわけで「大人の男性」はターゲットではない。バリアフリーでもないうちの教室の客ではないと判断していたわけだが、事実は異なっていた。
終礼が終わり、皆が帰ったのを見計らって車いすの男性が教室の扉を開けた。見たところ60代か70代ということろか。
男性「ごめんください。こちらは将棋の道場ですな?」
この時点で道を尋ねに来たのではないと予測できる。押している女性は男性と同世代に見える。夫婦なのか?
ハナー「何か御用ですか?」
男性「やあ、どうも。今の道場主は貴方かな?」
ハナー「いえ、あいにく『道場主』はいませんが。」
『今の』と言う言葉が引っ掛かる。ということはこの人物は「前の」があると知っているわけだ。再訪者ということか?
男性「なるほど。では貴方で良いので一手ご指南いただきたい」
ハナー「そもそも貴方はどなたですか? 何をしにいらっしゃったのですか?」
男性「将棋道場に将棋を指しに来たわけですが。」
ハナー「そうですか。あいにく、うちは予約制の『教室』であって、自由に出入りできる『道場』じゃないんです。今日のところはお引き取り下さい」
男性「将棋を教える場所ということなら、一手ご指南いただくのもいいと思うのだがね。それとも看板に偽りありですかな? 言葉には責任を持ってほしいものだね」
妹「申し訳ありません。そもそもうちは男性の方はご遠慮いただいてるんですよ」
さも申し訳なさそうに妹が告げる。世間一般の将棋道場では男性が中心でタバコが吸われることが多く、囲碁サロンに比べると、ややガラが悪い(偏見!?)。将棋道場で不快な思いをすることが多かった母が「子どもと女性向け」と言うコンセプトを打ち出したのはその実体験からである。
この男性、言葉は一応丁寧だが慇懃無礼な感じだ。あきらかに困ったチャンなのだが、不思議と嫌な感じはしない。
たしか2年ほど前、今の教室を立ち上げて間もない頃、道場破りがやってきて父母と対局したというのを思い出した。たしか元奨励会出身、かつどっかの県代表だったとかで、その時は母も父も敗れたと聞いている。
私と言えば、元県代表クラスとの対局経験はここ3年以内で2回ある。京都の団体戦でぶつかった相手が元奈良県代表だった。3年前の1局目は向飛車を指して抑えあい、持久戦を目指したが敢え無く完敗。1年前の2局目はダイレクトを身に着けていたので中盤入口までは互角に指せたが、中盤以降は圧倒的な腕力の差でねじ伏せられた。
妹が時間を稼いだ間に次の言葉を返す。
ハナー「教室ってのは教えるばかりではなく、教わる場所と言う意味もあるのですよ。」
男性「では私が一局教えてあげよう。そちらは将棋教室の看板を掲げているわけだから、こういう申し込みから逃げていては看板を上げてられないでしょう? 世が世なら看板を持って行かれてしまうよ?」
ハナー「いえ、別に。うちは強さを標榜してるわけでもありません。看板を持ってったりしたら窃盗罪ですし。」
男性「なに、言葉の弾みと言うもので。君のような半人前の人間に勝ったからと言って看板を持ち去ったりはしませんよ。まあ、将棋の好きな老人の暇つぶしに少し付き合ってくれんかねということでね。」
付き添いの女性「うちの主人の唯一の楽しみなんです。お金も払いますから少し付き合ってやってもらえないでしょうか?」
警察を呼ぶことを思案し始めたところで付添いの品の良い女性がはじめて口を開いた。予想通り奥さんのようだ。しかし、主人はいきなり初対面の私を「半人前呼ばわり」か。普通なら無礼な話でカチンとくるのかもしれないが、「私が半人前であることは事実」なので別に腹も立たない。おそらく「試合」に持ち込むための挑発なのだろう。
妹が不安げに私の方をうかがっている。名目上は妹が席主であり私はサポートに過ぎない。このまま押し問答を続けていてもらちが明かない。警察を呼べばこの場は解決できるだろうが、教室の第二部が始まっても、もめていては営業に支障が生じる。強さを標榜しているわけではないのも事実だが、将棋で商売しているのもまた事実だ。父母が引退しても、妹が教室を引き継ぎ、この地でやっていくことも確定している。
父母が破れている相手ということは、本気で戦ったとしても負ける確率はかなり高そうだ。だが、一応地域の顧客予備群だと考えるなら相手を満足させてあげることは大切だ。実際にうちの顧客は口コミ紹介が100%である。近所の評判は大切だ(父母が信用ある商売をしている証左だろう)
やれやれだ。相手をしない労力と相手をした場合の労力、そして買った場合と負けた場合を総合的に勘案すると、対局して勝利するのが確率的には一番低いが最高の結果。2番目は対局して負けるにしても穏便に済ませること。対局せずに追い返すのは悪い展開が予見された。実際に前回父母が指したというのはそういうことだろう。幸い私も妹も立場上は教室の最上位ではないので負けたとてそこまでの痛手はない・・・かな?などと色々思考を巡らせる。
ハナー「・・・半人前ということは二人でやっと一人前ということですよね。」
男性「ん? そちらのお嬢ちゃんも指すのかね? 」
相手の反応を探りながら発言する。一つのコツとして短い文章で結論を出さずに問いかけること。相手が微妙に嫌がるそぶりを見せた。ここは攻勢に出るべきと判断する。条件付けも戦いの内だ。
ハナー「半人前だったら2名同時に相手されませんか?」
男性「私は代表一名と指せれば十分なのだがね」
ハナー「半人前よばわりしたのはそちらでしょう? 半人前2名に教える位、訳ないでしょう。たしか言葉には責任を持つほうがいいんですよね?」
男性(失笑しつつ)「はは、なるほど。では順番に相手しましょうか」
徹底して相手の発言にのりつつ、こちらの提案をのせていく。その時、相手の論理を逆用する。冷静に考えれば通じない論理も、その場の熱と勢いで通してしまえることは結構多い。だから訪問販売にはクーリングオフと言う制度があるわけだ。
ハナー「いや、1時間後に教室の第二部が始まるので。2面同時指し、時間制限20分キレ負け、この条件でなければお受けできません。」
妹が「え、私も指すの?」と言う表情をしている。本来、妹をかばって私が戦うのが本筋だ。だが、父母や私が未来永劫妹をかばえるわけではない。妹にはさらに成長してもらわなければ困る。この野試合は負けたとて失うものはほとんどない。ゆえに妹にも「鍛えを入れる」良い機会と判断した。・・・私とて一人では死なんぞ。(敵ではなく味方を巻き添えにするわけだが)
男性「なるほど。教室に迷惑をかけるのは本意ではない。時間も無いようだしその条件でお受けしよう」
・・・かかった。やはり将棋さえさせればという御仁だったようだ。まあ将棋は楽しいですものね♪ 特に初見の相手と対局するワクワク感は。
ハナー「あ、何せ半人前なのでお代は結構ですが、次回以降は必ずアポを取ってください。お受けできるとは限りませんが、すくなくとも押しかけるのは無しでお願いします」
付き添い女性「すみませんね。うちの主人は体調に波があるもので押しかけてしまって」
外を走ってきた車いすを教室に上げるのにはさすがに抵抗があった。幸い春先となりそこまで寒くはない。教室から机といすを2脚前庭に引っ張り出す。
ハナー「将棋盤と駒、チェスクロックを各2セットいるな。」
妹「んー」
道場破りさんは外で待ってもらい、妹と一緒に教室に入るので言い含める。
ハナー「すまんが巻き込ませてもらったぞ」
妹「なんで巻き込むかなぁ。普通、こういう時は兄貴が妹をかばうんじゃないの?(笑)」
ハナー「わりぃ、わりぃ。それだけ頼りにしてるってことだよ。」
妹「で、兄貴のことだから、何か作戦があるんでしょ?」
ハナー「うむ。わかってるじゃないか。さすがは20年以上わが妹をやってるだけはある。」
まあ焼け石に水かもしれないが、思いつくことは一通りやるのが私の性分だ。
ハナー「単に俺らが一生懸命やっても、おそらく到底届かん。こちらが100%を出しても相手の50%にも通用せんだろう。ナッパさんにクリリンとヤムチャで挑むみたいなもんだ」
妹「ということは『ならば多少自分が体勢を崩してでも、相手のペースを乱すことに主眼を置く。』だよね? いつも言ってるからそれは分かるんだけど、具体的にはどうするの?」
ハナー「こちらが有利な要素はいくつかある。まず時間はかなり有利だ」
妹「なんで? お互いに20分でしょう? 相手は2つの盤面で合計40分考えられるから互角じゃないの?」
ハナー「ある時間に1つの局面だけを考えるならそうだが。常に2問同時に問題を投げかけ続ける」
妹「! ああ、そっか。なるほどね」
ハナー「できる範囲で構わんが、極力相手の考える時間を重ねるようにする。俺らが同時に手番を渡し続けることで2つのチェスクロックの時間を重ねてしまうんだ。逆に味方が長考してる時は自分も長考したらいい。」
妹「姑息な工夫はさすがだわw。」
ハナー「姑息っていうなw」
妹「なんかシドニィシェルダンのゲームの達人で似たような状況があったよね。素人が2名のチェスグランドマスター相手に1勝1敗で切り抜けるやつ。」
ハナー「レベルはかなり低いし、状況は真逆だがな。」
妹「でも、父さん母さんに勝った相手に私が通用するかなぁ?」
ハナー「最近の君の充実ぶりは目を見張るものがあると思うぞ。頼りにしてるからな。あと、俺は振り飛車でいくから君は居飛車で頼む。」
2面同時指しか順番に指すのかは正直悩んだところだった。順番に指せば1局目の戦いを見て2局目を戦う人間が対策を立てられるメリットがある。だが今回は絶対的に時間がない。そもそも対策をどの程度立てられるか不明であり、また相手との格差が大きいので、ちょっとした対策レベルでは太刀打ちできないと判断した。
それよりも「同時指しで混乱させる」ことで勝機を見いだす。私も同時指しの経験はあるが、小学生相手の2面でも結構混乱し、3面となると収拾がつかない。いくらアマチュア強豪とはいえ、プロでもない限り、多面指し経験はない人の方が多いだろう。そこに時間制限を付加すれば多少は攪乱できるだろう。実質、相手の考慮時間を2人がかりで半減するわけだ。
結果的に縁台将棋と相成った。振り駒。妹は先手番、私は後手番となった。
3人「お願いします」
2つのチェスクロック、3人の時間が動き始めた。
私は例によってダイレクトを指す。ダイレクトは手の遅い最序盤はカウンター狙い、手が整ってきてからは先行するフェイク仕込みの戦法だと理解している。ゆえに一部狙いは変わるものの、後手番でも似た感覚で指すことができる。
●2六歩○3四歩●7六歩○4二飛車●4八銀○6二玉●6八玉○8八角成●8八同銀○7二玉●7八玉○3二銀
角交換ができたこの形は7筋まで玉が来ていれば、とりあえず相手の角打ちには対応できているので、美濃囲いは急がない。
●5八金右○4四歩●3六歩○4三銀●6八金上○2二飛車●2五歩○8二玉●3七桂○7二銀●4六歩○3三桂●4七銀
隣の妹は予定通り居飛車で相手が振り飛車にしている。相手の方はオールラウンダーか。ちょうど妹が指したのでこちらもタイミングを合わせて端歩を伸ばした。
○9四歩●9六歩○3二金●7七銀○2一飛
こちらの狙いは大まかに3パターンあったのだが、すべてに的確な手順で備えられてしまったので仕方なく飛車を引く。急戦ばかり習得しており、持久戦は相変わらず勉強不足を痛感する。
●7五歩○4五歩●4五同歩○6四角打
相手が美濃の急所狙いの歩を伸ばしてきたので、角打ちの仕掛けを思いつく。時間の短い将棋だ。己の直感を信じる。
●4八金○4五桂馬●4六歩○3七桂成●3七同金○7五角
守備の金を引きはがして上ずらせ要の歩を外して一歩得する。角を手放した代償としてこれが釣り合いとれているかどうかだが。
●8六銀○6四角●5六銀
相手は当然角に狙いをつけてプレッシャーをかけてくる。さばききれるかどうか。
○4五歩打●4五同銀○5五歩●5六銀○4五歩
しつこく2度の4五歩で攻める。角の斜め筋に飛車がいる今しかないと考えた。
●7七銀○4六歩●4八飛車○2四歩●6六歩○2五歩●6五歩○4二角●4六飛○4四歩打●4九飛○2六歩●2八歩打
2筋突破は実現しなかったが相手に謝らせたのでとりあえずは満足。
○6四歩●3八金○6五歩●6五同銀○6三銀●7六銀引
6筋の歩を払いに行ったこの構想がどうだったか? 指してる時は思いつかなかった。 相手が金銀の形を整えさせる猶予を与えてしまった。
○7二玉●6五歩打○5五歩●7五歩○5一飛車●6六銀○2四角●3七金○5六歩●5六同歩○5六同飛●6七銀○6八角成●6八同玉○5八金打●5八同銀○6六飛●6七金○5六桂馬
とりあえず王手をかけることには成功した(笑)。しつこく絡み続けるが相手も受けをミスってはくれない。
●5七玉○6七飛車成●6七同銀○4八銀打●4八同飛○4八桂成●4八同玉○6九飛車打
思いつく限り絡んだのだが、ついに攻めが途切れた。相手の反撃が来る。
●5八銀打○8九飛成●6四桂打○6四同銀●6四同歩○6二歩打●5五桂打○4五桂打
受けに回ってはジリ貧になるとみて攻め合いを選択。読めている人ならともかく、読み切れない局面では性格が棋風となって出るものだ。わからんときはとりあえず攻める。
●2一飛打○3七桂成●3七同玉○3一金打
取った金で一転して飛車に当てて受けに回る。持ち駒ルールがあるために将棋の攻防は実に目まぐるしい。
●1一飛成○5四銀●5六銀打○1九龍●2四桂打○1五桂打●3八香打○4五香打●4七歩打○5七歩打●5七同銀○4九金打●2六玉○2八龍●1五玉○2三金●2六桂打○1七龍●1六歩打○1四歩●1四同桂○1三歩打●2五角○2七龍●2六歩打○1四歩●1四同角○2二金上●4一角打○1四金●1四同角成○2三桂打●2五玉○1三歩打
敗着はいろいろあるが、この1三歩がまずかったか。まだ3三角のほうが勝負になったように思う。劣勢から敗色濃厚になってしまったが、あきらめずに指し続ける。お互いに時間に追われて集中するあまり妹の盤面を見る余裕はない。
●2二龍○1三歩●6三歩成○8二玉●3七金打○1八龍
金で龍を追われてしまい万事休す。だが、まだ指す。投了はしない。
●6二と金○2一歩打●3二龍○3九金●6一と金○9三玉●9五歩○9五同歩●8五金打○8二角打●9五香○9四歩打●9四同香 159手まで
完全にとどめをさされた。私は自分の最善を尽くした。やはり力の差があきらかにあると感じざるを得なかった。
「まいりました」と頭を下げたが、別の狙いが結実しつつあった。妹は不利な将棋を穴熊で粘りに粘り相手の時間切れで大金星の勝利をおさめた。私はまあ結果的に援護射撃をしていたことになる。
道場破りのおっちゃんは来た時のしかめっつらから破顔一笑である。自分の半分以下の年齢の女性に負けたのがうれしくて仕方がないらしい。
母に聞いたことがあるが女性と将棋を指して負けた時に男性がとる態度は2種類。「こんなはずはない」と意地になってむきになるか、さもうれしそうにするか。前者はあつくなったところをしばしば母の餌食にされてきたわけだが。このおっちゃんは後者だったらしい。
ハナー「本来ならじっくり感想戦をして教えを乞いたいところですが、もうすぐ教室の時間ですので」
道場破り「ああ、実に愉快だった。おかげさまで濃密だったよ。またいつか来たいものだね。とくにお嬢ちゃんにはまけてしまったから借りを返さねばな」
妹「いえ。ちょっと露骨すぎましたか。」
妹はさらりとああいう渋い将棋を実力では到底及ばない格上相手に指せるとは棋力とは違うところが強くなったものだ。剣術の鍛錬のせいか肝っ玉が据わってきて、母に似てきているようだ。棋風は完全に受け将棋の父のものだったが。
かくして闖入者の撃退任務は完了した。とてつもなく疲れたので2部の将棋では教え子相手に駒落としの指導対局で2連敗と散々だったが、心地よい疲労感であった。