船と漂流物の違いを答えられますか?
連休前に将棋教室の教え子に配るA4用紙1枚の教材。少しずつ改良しながらもう何年も使いまわししてるけれど。
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【質問】
船と漂流物の違いについて考えてみよう。
以下のものは「船」だろうか? それとも「漂流物」だろうか?
①海に木の板が浮かんでいる
②板の上に意識を失った人が倒れている (人の存在)
③その人が「助かりたい」という意識を持っている (意志・意識・戦意「将棋に勝ちたい意志」)
④その人が「どこに向かえば助かるか」わかっている (目標・情報・戦略「将棋の大局観・方針」)
⑤その人がオールや両手で水をかけば船が進むと知っている(方法・知識・戦術「将棋の戦法」)
⑥その人が目的地に向かって水をかきはじめる (実行・努力・戦法「将棋の手筋」)
何番から「船」になるだろう? できたら、その理由まで考えてみよう。
●自分で「正解」を決めよう
世の中に出ると学校のテストみたいに「1つだけの正解が明快にわかる問題」よりも
「正解が1つじゃない問題」「正解が明確にわからない問題」のほうが多い。
「ある程度の時間内に」「自分で理由を考えて」「正解を決める」のが大切だ。
「自分で正解を決める」のが大切なのは将棋でも同じ。
将棋のパターン(10の226乗)のほうが全宇宙の原子の数(10の100乗)よりも多いので、プロ棋士でも「正解」がわからずに迷うことがある。
だから、ぼくらアマチュアが将棋で「正解」を見つけられないのは当たり前だ。
それでも時間内に「コレが正解だと思う」という手を指さないといけない。
「正解がわからずとも自分なりに理由を決めて決断をすること」 これが大切だ。
--------<<折れ目 この下は読んでいいというまで読んではダメ>>----------
<言いつけにそむいてこっそりこれを読んでるキミ、残念でした。
ここに正解は書いてないので自分で考えましょう(笑)。>
さて、「正解」を決めるという考えを持って、もともとの船の話に戻ろう。
この船のお話は「人生」や「将棋」にもそのまま通じるんだ。
みんなは今日お迎えに来てくれてる人が食事や服、寝る場所も用意してくれて、将棋教室に通わせてくれてるね。
たとえば戦争地域のこどもたちは今日にも死んでしまうかもしれない。そういう子達はそもそも「水に浮かぶ努力」が必要な状態だ。
それに比べると、みんなは「水に沈む心配」をしないでいい、これはとてもありがたいことだ。
「ゲームがやりたい」「勉強が面倒くさい」「ねむい」「この話がつまらない」(笑)
って感じで目先のことしか考えなくても、楽(ラク)に生きることはできる。
でも、それじゃ「漂流物」と同じだ。ただ浮かんで流されてるだけでどこに流れつくか分からない。
将棋教室に来てくれているみんなには、ぜひ「漂流物」よりも「船」になってもらいたい。ラクではなくタノしいを選んでほしい。
「船」になるために必要な「目的地」をどこにするかは教科書やプリントにも「正解」は書いてないし、大人の誰も正解は決められない。
お父さんお母さんに「ヒント」はもらえるけど、最後は自分で考えて「正解」を決めるんだ。
自分で「意志」をもって「目標」を決め、「方法」を調べてそれを「実行」する。
ちょっと大変そうだけど、充実して楽(タノ)しいのは「船」の生き方だ。
「どうしたら船になれるか」をちょっとだけ考えてみてほしい。
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。