「嫌う自由」「前進トリガー」

何かが好きだとか何かが嫌いだと思う「内心の自由」は絶対不可侵のもので、私などが定義づけるまでもなくたとえ国家権力だろうと侵害は不可能なものだ。

だが、一度それを表明すると、外部からの様々な・・・中には大いなる勘違いを含む作用を受ける。ここから以下①と②に展開する。

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①少女マンガのようなシチュエーションでいえば、内心で好きだと思っているだけなのと相手に伝えるのとでは世界は大きく変わる。

意志の表明とは前に進むためのトリガーなのだろう。それが成功するか失敗するかはそれぞれだが。少なくとも事態は進展する。どうやら一般的には躊躇するトリガーを私は引きまくるので、「温度差」と言うか「集団の中での孤立」を感じることがある。寂しい(笑)。

まあ冗談はさておき、事態を進めたいなら、タイミングを計る必要はあるかもしれないが、トリガーを引くしかない。悩むくらいなら相手に聞けば少なくとも事態は前に進むのだから。

逆に聞かないと決めたなら一生聞かずに墓場まで持っていくつもりで黙り込む。

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②自分が嫌いなものを他人が好きだと言ったり、反対に自分が好きなものを他人が嫌いだと言えば、内心穏やかではいられないのは人情ではある。

たとえば何かを嫌い(好き)だと発言する時には、その対象やそれを好きな(嫌いな)人物から自分自身が嫌われることは許容しなければなるまい。

だが受け取り手の勝手な勘違いで、相手が発言してもいないことを批判するのは的外れというものだ。

よくあるのがたとえば「和食が好きだ」と言ったら「じゃあ洋食は嫌いなのか」というような早とちり先入観だ。和食も洋食も好きだという状態は別におかしなものではない。

この対象が「国家」「民族」「政策」「チーム」になったりで様々な論争が巻き起こる。

感情的になる前に、とりあえず相手の言い分を勝手に変換せず「そのままで聞く」ところから始めるべきだろう。確認の質問をして言質を取ってからでも反発は遅くはあるまい。

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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。