説明「無」責任と推定「有」罪(キメツケの刃)
徳光和夫、中居正広氏・フジ問題に私見「放送人を真摯に志したひとりの真面目な女性が…残念」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=8188684
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独裁者と革命、性上納システム、守秘義務と説明責任などなど。ここ最近のジャニー氏(性犯罪者)や松本氏、中居氏の諸問題からのフジテレビという電波業者にいたるまでの問題には重要かつ多様な切り口が多数見える。
・独裁者と革命 「叩きすぎ問題」
まず「叩き過ぎ」的な話だが、悪徳独裁政権というのはジャニー氏のように「死に逃げ」を許してしまえば。その後にどれだけ死体をムチ打とうが「悪の勝利」になってしまう。「行った罪の深さ」「悪事で得られる果実の大きさ」「その逃げ切り率」を思えば「割に合わないくらい叩きまくる」くらいしか公平性が保てない気がしている。いくら叩いても被害者が救済されるわけではないが、一定の慰めにはなるだろうと思いたい。
・性上納システム 「疑わしきを罰してしまえ」
俗に「英雄色を好む」というが「色を好む人々の中に英雄がたまたま存在する」というほうがしっくりくる。英雄ではなくても色を好むものだ。そして日本においては立場が上の人間に気を使いすぎる傾向があって、行き過ぎた一つが性上納しすてむ(?)だろうか。人が人を紹介すること自体は私も大好きで、コミュニケーションの観点から言えば有用なことなんだが、こと性目的で、しかも一方にその気がないのに、意に添わず貢物にされるというのは多大な人権侵害と言わざるを得ない。冤罪との兼ね合いが難しいが被害者側の意見を最大限尊重して「疑わしきは罰する」くらいの司法判断が必要だと個人的には思う。まあ、やってない証明(=悪魔の証明)も難しいので、被害者側から一定の証拠の提出は必須だが。
・守秘義務と説明責任 「推定有罪(キメツケの刃)と説明無責任」
守秘義務の名のもとに説明責任が果たされないことは多い。また黙秘権というのも存在して「事実を詳らかにする」という司法判断の基礎中の基礎が全うされないことは多い。この大前提となるのは「疑わしきは罰せず(推定無罪)」の原則になるわけだが、そこをどうにかできないかという個人的な妄想がある。
社会的には黙秘権や守秘義務で語られない場合に対抗して「じゃあこうだったに違いない!」という「キメツケの刃(推定有罪)」がさく裂している。「二次被害三次被害につながるので無用な想像やキメツケをしないようお願いしたい」と言ったところで肝心の説明がない時点で無理な相談なのだろう。いわば「バランスを取ろうとする力」が説明無責任に対する推定有罪なのだろう、なと。
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