どうせまたすぐ散らかるんだし、と片づけから逃げたくなったら
こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。
片づけをしたくない時って、思わずこんな言葉が口をついて出てきませんか?
「どうせ、またすぐ散らかるんだし」
「だから、片づけなんて、やるだけ無駄。」
そして、先延ばし・放置してしまう・・・
もし、そんなパターンが出来上がっているのなら。
でも、いい加減そのパターンから抜け出したい、とも思っているのなら、
ちょっとこんな詩の一節を味わってみるのはいかがでしょうか。
■片づくマインド・名言シェア216
今日に始まる死ではなし
さりとて むろん ことあたらしき生でなし
セルゲイ・エセーニン(詩人)
1895年10月3日生
以前noteでシェアした、この動画が連想されました。
毎日、膨大な量の細胞が死に、膨大な量の細胞が生まれていることで、体(らしきもの)を保っている、私たち。
この人の形を家の形に変えれば、歩いたりはしないものの、同じ理論が成り立つのではないでしょうか。
そんな考え方から見れば、「またすぐ散らかる」というのは、ごく普通の、当たり前のこと、自然の摂理のように思います。
その変え難い前提の上で、それでも、「理想の形を作ろうと努力する」のか、それとも、「物事が自分を通り過ぎて雲散霧消していくのに任せる」のかー
どちらを選んでもいいのだと思います。
前者は、簡単です。
コーチングアプローチは、まさにそういう方を支援するものだから。
でも、後者を選ぶなら、片づいていないことの悩みを消すには、
ゴミのポイ捨て大歓迎な場所(そんなのあるのかは謎)で生活するとか?
どんな汚部屋でも感情が揺れないように訓練するとか?
・・・どうしたらいいんでしょうね、私もわかりません。
ただ、「めっちゃミニマリストになる」ことができれば、入ってきた物事が自分を通り過ぎて雲散霧消していくのに任せることは、できるようになると思います。
極端に言えば、「ひと抱えの身の回り品だけを持ち、家もなく、その日暮らしをする」というライフスタイルであれば、モノへの執着は、ほとんどなくなるでしょう。
その日入ってきたものを数日自分の体にくっつけて歩くか、そのまま素通りさせるかを選ぶだけ。
これなら、片づいていないことが悩み、なんてことは起きなくなると思います。
まあ、そこまで行かなくても、「家の中にあるものは、何がどこにどれだけあるか全て把握できている」程度の量にまで絞ることができれば・・・
今日に始まる死ではなし
さりとて むろん ことあたらしき生でなし
まさに、これに近い境地になります。
「入ってきてくれたけど、そのうち出ていくんだしね」みたいな。
モノが一時我が家に滞在しているお客さん、みたいな感じです。
すると、「これは私のモノ!!!」感がものすご〜く薄らいでいくので、「まあ、いいや」と手放せることばかりだと気づけるんんですよね・・・
いつも読んでくださりありがとうございます。
おやすみなさい・・・
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