26年と7か月、プラス9日
26年と7か月、プラス9日
タイトルの時間だけ生きてきた。
長かった?早かった?楽しかった?辛かった?
やめたくなった?まだ生きたい?
26年間、生きてきてよかったことの1つとして、自分のことがようやく少しだけわかってきた。まだ少しだけ。
例えば、電気屋に行って、PCを買いたい。
初期設定が面倒くさく、機械音痴の私は
お金を払って、お店の方に初期設定をやってもらうか、
自分で最初から初期設定をやるか、
上の状況で、これまでの私の経験上
自分で最初からやって、わからなくなって、ウワーってなって、夜更かしして
結局次の日もわからなくて、購入したはいいものの長い間PCが使えないという自分が想像できた。だから、迷わず最初の「お金を払って、お店の方に初期設定をやってもらう」を選択できた。
初期設定をやってもらって、受け取った後すぐにPCを使えた。
自分で初期設定をした方が、愛着がわくかなとか、そのほうがPCの知識が付くかな、とか考えたけど、愛着って使えば使うほどわくもんだろうから、初期設定をプロにやってもらっただけではわくわけない、と考えた。
似たようなことでいうと、不器用だからニトリでの組み立て系も苦手。
たて鏡を購入したんだけど、2人で組み立て〜と説明書に記載あるのに1人暮らしの私は誰かを呼ぶことも面倒くさいし、買ったものをずっと置きっぱなしも嫌。
だから1人でやっちゃう、そしてうまく作れなくて鏡は不安定でたっている。
だから組み立て系はあまり買わないようにした。
他にも、今日は映画も見たい、美容院にも行きたい、銭湯にも行きたい、ネトフリでワンピースの続きも見たい、こうやって動けるうちにやりたいことを1日に詰め込んでいた。朝から晩まで。昔は。
だけど最近の私は、予定を1日に1個くらいにできるようになった。
というか、以前の私は、行動したことに対して達成感を得ていた。
だけど、その中身にあまり濃さを感じられなかった。
朝から晩まで予定を入れ、次の日は若干疲れ気味。また何か達成感が欲しいから、中身のないことをする。お金がかかる。その繰り返し。生き急いでたのかなぁ、、、
多くの人は、こんなこと物心ついた頃から自分のちょうどいいペースがわかるのかなぁ。
だけど、自分がそれをできなかっただけ。自分で自分を疲れさせていた。無意識のうちに。それが良いとか悪いとかではなく。
あと、最近は待てるようになった。例えば、ライブのチケット当選日とか1か月待たなければいけないことが本当に待てなかった。毎日そのことを考えてソワソワ。だけど最近は、気づけば当選日な感じ。ライブのチケットはまだいいか、例えば今日ほしい!みたいなことも多かった。もう少し日を置いて他の良い商品も探したり〜が本当に苦痛だった。できなかった。
ただただ今を満たしたい一心。
物って今の自分を満たすものじゃないのにね。
ここまで書いていて思うのだが、ただただせっかち(笑)
せっかちじゃなくなったのは大人になったからかなぁ?
だとしたら、大人最高じゃん。
他にも細かいことを言えば、洗濯を回している時間にものすごく私は家事が捗る。多分、時間に追われながら家事をすると自分はやる気が起きるのだろう。これもある意味、急いでいるからあまり丁寧ではないんだけどやらないよりはマシで自分の原動力。
自分のことがよくわかるって本当に良い人生を送れるヒントだと思う。
こうすればこれができる、やる気を起こすのはこの状況だ、これをすることが本当にリラックスできる、これが好きでこれは嫌い、
自分を動かすのはいつだって自分だから、
自分自身を深く広く知ることは自分を守るし、動かす。
そのためには時間と経験がいっぱい必要。
焦らず一歩一歩、今後も生きていきたい。
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あちゃちゃちゃちゃ〜。