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【後編】孤月の悲嘆

この記事はやえしたみえ様主催の「カニ人アドカレ2024」7日目の記事として参加しています。6日目の記事はこちら

どうもパゴパゴです。今回の記事は昨日(2024年12月6日)にアドカレ用として登録し直したSS、「孤月の悲嘆」の後編となります。こちらは新作です。

連続投稿もついに6回目となりました。創作意欲の赴くままに本年のカニ人アドカレを全力で満喫させていただいております。

やはり年末といえばこれですね。個人的にはこれこそヘンタイニンゲンとしての一年を締め括るに相応しい素敵なイベントだと思っております。

主催者のみえさんのように、自発的にこういったイベントを企画し実行してくださる方というのは本当に貴重でありがたい存在です。毎年ご多忙にも関わらず、せっかくアドカレという「場」を、「枠」をこうして提供していただいているのですから、ヘンタイニンゲンとしては全力でそれに乗っかるのが務めというものでしょう。というわけで力の限り楽しませていただいております。

連続投稿は一旦これにて終了しますが、カニ人アドカレはまだまだ続きます。私もSSのプロットがまだあと2本ほど用意できそうなので、後半の投稿を目指して頑張りたいと思います。

それでは本編をお楽しみください。

◆◆◆

「早く、こっちよ!」

樹々が鬱蒼と生い茂る山の中を、天津一族の首領の娘、天照大神が息を切らせながら早足で歩いていた。頬を上気させた様子はとても楽しげだ。時々後ろを振り返りながらも、歩調をゆるめることなくずんずん進んでいく。

「待ってください、姉上」

そんな天照の後方、少し離れた藪の中から顔を出したのは、彼女の弟である国津神須佐能だ。姉によく似た端正な顔立ちだが、骨格はがっしりしていて力強い印象を与える。無骨な腕で行く手を遮る藪をかき分けながら、須佐能はなんとか姉に追いつこうとしていた。

「もたもたしないの! 早くしないと父上が帰ってきてしまうわ」

歩みは止めず、天照は肩越しに弟にむかって叫んだ。自分で口にしておきながら、父親の話題を出した途端、姉の表情にわずかな影が落ちたのに須佐能は気付いた。微かに肩を震わせたのは、すでに日常と化してしまった苛烈な暴力を思い出したのか。それとも、身体中に刻まれた痛々しい傷跡が、父の名を出すことによって疼いたのか。

そんな姉を心配する須佐能だったが、しかし天照は恐怖を振り切るように頭を振り、先ほどよりも大きく声を張り上げた。

「急ぐのよ、あと少しだから!」

そうして再び須佐能が姉の背中を追っていると、しばらくして開けた場所に出た。そこはなだらかな窪地のようになっている場所で、眼下には色とりどりの花が一面に咲き乱れていた。その光景の息を呑むような美しさに、須佐能は思わず感嘆の声を上げた。

「これは……」
「ふふん、どう? すごいでしょ?」

腰に手を当て、天照が得意げな顔で言った。

「私が見つけたのよ。あなた花とか植物とか、そういうの好きでしょ。だから教えてあげようと思ったの。どう、気に入った?」

本当は叔父に教えてもらったのだが、それは言わないでおきつつ、彼女は弟の様子をうかがった。普段からあまり感情を表に出さず、姉である天照ですら時々何を考えているかわからなくなる須佐能だが、この時は意外なほど表情が動き、年相応の少年のように瞳をきらきらと輝かせた。

「とても綺麗だ、姉上。ありがとう。こんなに素晴らしい場所があったなんて知らなかった」

その台詞に一瞬どきりとしつつも、天照は予想以上の反応に気をよくし、えへへと笑いながら照れ隠しに弟の肩をばしばしと叩いた。

「そうでしょ、そうでしょ⁉︎ もっと眺めのいいところに連れて行ってあげる。こっちに来て!」

そう言って、天照は弟を引っ張って行こうとしたが、しかし当の本人は動かなかった。

「……どうしたの、須佐能?」

驚きつつ尋ねると、須佐能は背後を振り返り、ちょっと待っててください、と言って元来た藪の中に入って行ってしまった。

「ちょっと……どこ行くのよ⁉︎」

呆気に取られながら天照が叫ぶと、やがてガサガサと葉の擦れ合う音を立てながら須佐能は戻ってきた。その腕に何か黒いものを抱えながら。

「兄上を置き去りにしてしまいました」

須佐能が抱えていたのは、三人姉弟の長男・月読だった。年齢は須佐能よりも上だが、未熟児として生まれた月読は年月が経っても身体が小さいままで、身体能力も姉や弟には遠く及ばなかった。実は今日も三人一緒に出てきたのだが、天照があまりに速く歩きすぎるものだから、途中で置いていかれてしまったのだ。

「ありがとう須佐能。いつもごめんね。ぼくの方が兄さんなのに……」

月読はぽろぽろと涙をこぼした。自分の脚で追いつくことができず、弟の助けを借りなければならなかった己が情けなかったのか。それとも、わずかな時間とはいえ置き去りにされたのが恐ろしかったのか。おそらくその両方だろう。

「大丈夫ですよ、兄上。気にしないでください……それよりほら、とても綺麗な花畑ですよ。みんなで一緒に見ませんか」

須佐能の優しい言葉に、月読はうんと頷き、みずからの腕で涙を拭った。そうだ、いつまでも泣いているわけにはいかない。気持ちまで弱くなってどうするのだ、と。彼は自分がこのままでいいとは思っていなかった。今はまだひ弱でも、身体を鍛え、心を修練し、いつか弟や姉に恩返しがしたいと強く願っていた。

顔を上げた月読は、自分を抱きかかえている弟と顔を合わせた。須佐能は微笑み、月読を地面に下ろした。みずからの脚で地面に立った月読は、先ほどからずっと黙ったままでいる天照の方に向き直った。

「申し訳ありません姉上、遅くなってしまいました。いつも迷惑を──」

だが月読の台詞はそこで止まった。こちらを見ている姉の顔を見た瞬間に──否、正確には顔ではなく眼を見たそのとき、月読の全身の血液は凍ったようになってしまったのだ。

「どうして……」

天照は絞り出すように、一語一語を区切って声を発した。

「どうして、お前は……」

その闇を映したような眼は、まるで──。

◆◆◆

「……様、月読様?」
「……ッ⁉︎」

はっと我に返った月読は、目の前で怪訝そうな様子でこちらを覗き込んでいる叔父のアシナズチの顔を見た。

「あ、え……?」

きょろきょろと辺りを見回す。先ほどまでと似たような光景だが、どこか違う。そこに至ってようやく月読は、自分が今どこにいて、何をしようとしていたのかを思い出した。親友である黒蟒の目を覚まさせてやるため、彼を襲撃し、妻であるうわばみと引き離す計画の最後の詰めを叔父と相談していたのだ。

「……大丈夫ですか。ご気分が優れないようですが」

そう尋ねてくる叔父に、月読は平静な態度を取り繕った。

「……ああ、心配いらない。少し考えごとをしていただけだ。それより、どこまで話したかな?」

それからも月読は何事もなかったかのように振る舞い、叔父との打合せを続けたが、思考はまた目の前の現実を離れていった。先ほど叔母のテナズチと話していたとき、ほんの一瞬だが彼女の姿がひどく恐ろしいもののように見えた。そのときは恐怖に囚われて思考が麻痺していたが、今ならなぜそれほどまでの恐怖を感じたのかがわかる。

姉だ。あのときの叔母の表情は、姉の天照がときどき自分に向けていたものにそっくりだった。特に眼が。だから恐ろしいと感じたのだ。自分を疎んでいた姉。あの父のもとに一人で置き去りにしていった姉。弟を──須佐能を連れていってしまった姉。

なぜ姉が自分を疎んじていたのか、どうして須佐能だけを連れて行ったのか、今ならなんとなくわかる。姉が須佐能を見るときの表情や言動を注意深く見ていれば、自分が邪魔者だったのだということは理解できるのだ。しかし、だからといって姉や弟を許すつもりはない。憎いという気持ちはいまだに萎んでいない。だが、それよりも悲しさの方が大きかった。

どうして一緒に連れて行ってくれなかったのか。どうしてあんなところに一人にしたのか。あの父のもとに置き去りにするなんて、あまりにも酷すぎるではないか。残された自分がどうなるか、想像できなかったわけではあるまい。姉は馬鹿ではない。むしろ姉弟の誰よりも頭は回る。わかっていて置いていったのだ。死ぬかもしれないと。父に殺されるかもしれないと理解していながら……。

ひどすぎる。そう、ひどすぎるのだ。父も、姉も、弟も。そして、今また自分を一人で置き去りにしようとしている、色香に惑わされた親友も……。

「それじゃあ私はこれで。あとは手筈通りに」

最後の打合せを終え、月読はみずからの持ち場へと去っていった。いよいよ黒蟒との戦いが始まる。アシナズチの方は何を考えているのか、離れていく月読の背中をじっと眺めていたが、やがて背後の闇の中から生き物の影が現れると、そちらの方に視線を向けた。

「勘付かれたかねえ?」

アシナズチの妻、テナズチであった。

「……何があった?」

アシナズチが問うと、テナズチは肩をすくめた。

「ついあの子の前で殺気を出しちまったのさ。私らの正体がバレたかもしれない」

平静な風を装っているが、テナズチはだいぶ動揺しているようだ。それは滅多にない珍しいことであり、またアシナズチ以外は絶対に気付けないような小さな態度の変化だが、長年の付き合いで彼は妻が不安がっているのがわかった。

「いや、勘付いたような様子はなかった。おそらく大丈夫だろう」

多少の驚きを押し隠しつつ、取り乱している妻を安心させるように言うと、テナズチはいくぶん不安が和らいだようだった。

「ならいいんだけどねえ。私としたことが迂闊だったよ。いよいよ焼きが回ったかねえ」

自嘲するように笑みを浮かべる妻に、アシナズチは問うた。

「黒蟒を倒したあと、あの子はどうする?」

あの子、とは月読のことだ。夫の質問にテナズチは眉をひそめた。

「……どうするってあんた、私があのイザナギの息子を生かしておくと思うのかい? 用が済んだらさっさと殺すに決まってるじゃないか」

テナズチはきっぱりと言い切った。

「そしたら今度はあんたがあの子に化けてうわばみを襲うのさ。月隠を使ってね。殺す必要はないよ。怪我させるだけでいい。『黒蟒の身柄は預かった』って伝えるのを忘れなければそれで十分。あの子は腐っても天津族の首領の息子。上手くいけば中世代ワールドと戦争になるよ。そうなりゃ私たちにとっては好都合さ。あの馬鹿娘を取り戻して、天津族も、やまたのおろちも、邪魔な連中は全部まとめてぶっ潰してやる」
「…………」
「どうしたんだい? 蛙みたいに押し黙って。まさかとは思うけど、嫌だとか可哀想だなんて言うつもりじゃないだろうね?」
「ああ、もちろんだ。ただ……」
「ただ?」

アシナズチは月読が去っていった方に目をやった。さきほどまでかろうじて見えていた背中は、もういない。

「どこまでも孤独な奴だと思っただけだ」

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