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日記20241128 心の声、木と父性、油断して委ねたい
嫌なことをなるべく感じないようしていると、いつの間にかその時間が積み重なってしまい、良いことに対する感度も鈍ってくる。
仕事で他者の言動に嫌悪感を抱いたり、軽蔑したり、萎えたり、怒ったり、そんな現実を見ている自分に苛立ったりと、なにかと消耗することの多い11月だった。本当は見たくないようなブラックな感情もしっかり感じていたのに、心の声をちゃんと拾ってあげられていなかった。本音は拾わなければこちらが拾うまで追いかけてくる。
静かな時間を持ちたくて通勤途中に御所で色づいた銀杏をぼーっと眺めた。この「ぼーっと」がすごく大事な気がする。放っておくと常に考えてしまうから、目の前の景色をただただ眺めながらぼーっとすること自体が内側に余白を産み、生命エネルギーがチャージされる。
今朝は冬毛ふさふさの大きなワンコが銀杏の下を散歩していて、無邪気でとても可愛かった。
御所にはいくつかお気に入りの木があって、その近くを通る度に心の中で挨拶し、話しかけている。木はどっしりしていて静かで優しい。そして揺らがない。父性そのものだなと思う。
鴨川はドードーと流れ、そこに鳥たちがじっと佇んで虎視眈々と魚を狙っている。遠くの大文字山は完璧な配色で紅葉している。自然を眺めていると自分を取り戻せる。でもまだまだ心に疲れが残っている。
本当のリラックスってどうすれば会得できるんだろうか、というのが子供の頃からの疑問だ。
帰り道、小学校の送り迎えをしている人たちとよくすれ違う。今日は自転車の後ろに息子を乗せて走るお父さんを見かけた。少年はずーっと父親に喋りかけていた。父親は前を向いて必死に漕ぎながら「へー、まじか!」などと返していた。子供の顔がとてもリラックスしていて、お父さんが聞いていようがいまいがかまわない、といったふうで、しきりに話を空に向かって垂れ流していた。
それを見て、ああ私が今求めているのは、あんなふうに油断して委ねることだなぁと思った。何にも警戒することなく、不安を感じることなく、怯えることなく、油断して委ねる感覚。
私はあの少年とは違ってもう大人なので、求めているものがわかれば、自分でその状況を作ってあげるまでだ。
自分が自分の親になって、少しでも心を緩めて油断させてあげられる時間をつくっていく。そうやって私が私を育てていく。