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17日目 両親からの言葉
ダメージを受けた後は、ネガティブモードに入りやすい私…
過去の楽しかった記憶よりも、苦しかった・嫌だった記憶ばかりが蘇ります
子どもながら、両親が私に言った言葉に傷付いた記憶です
時代のせいもありますが、両親とも、親の愛情を受けていません
両親が亡くなって、物心つく前から親戚に育てられたり、父親が早く亡くなって6人の子どもを母親だけで育てたり
生きるのに一生懸命だったからでしょう
父親
結婚して、当たり前に男の子が生まれて、サッカーをさせたいと思っていたようです
ところが、生まれて来たのは女の子で、サッカーは無理…
私以外に子どもを授かることもなく、父親の当たり前に描いていた夢は叶えられませんでした
「お前がいなければ、お母さん(私の母)と2人で食事に行ったり、旅行したりできたのに お前ひとりで留守番させる訳にはいかないから、2人の時間を楽しむことができない」
勝手に作っといて私に言うの? と、首をかしげるような言葉をたびたび吐かれました
これが5~6歳の頃から始まった記憶があります
母親
母親が仕事を始めてから、家事はいっそう疎かになり、食事はお惣菜を買って来る頻度が増えました
もちろん、私と話をする時間も減り、食事時間以外、私はひとり、自分の部屋で過ごすことが多くなりました
今、母親と一緒に暮らしていますが、この頃とあまり変わりはありません
年を取ったせいもありますが、有り余るほど時間があるのに、常備菜を作り置きしたり、おやつを手作りしたりというようなことはありませんね…
父親は短気で気性の荒い性格だったため、母親にとって私は、唯一自分の味方をしてくれる存在だったと思います
それなのに
「私は、家で家事をしたり学校行事に参加したりするより、会社で仕事をする方が向いている 職場でストレスが溜まっても、家でアガサ・クリスティの小説を読んだら気が晴れる」
と、唯一の味方であるはずの私に言ったのです
これも5~6歳の頃の記憶かな…
ただただ悲しかったのを覚えています
仕事が終わって家に帰り、健気に待っていた娘の顔を見て嬉しくないの?
幼稚園でどんなことがあったのか気にならないの?
そんな思いがありましたが、その母親の言葉を聞いてから、私は大好きなお母さんのじゃまになってはいけない、いい子でいなきゃ…としか、思わないようになりました
子ども
私が子どもに言って来たことはひとつ
「自分のことを1番大切にしなさい」
学校ではそうはいかないかもしれないけれど、家ではそれでいいから
働き始めると、自分を1番大切にするのはもっと難しくなる
だから、今から自分を大切にすることを知ってほしいとの思いから言い続けました
私は出来ていないクセに…です(笑)
まぁ、そんな言葉をかけ続けたから、母の日に道端の雑草さえ持ち帰って来ることがなかったのかもしれませんね(笑)
決まったお手伝いはしてくれていたので、子どもに多くを望むことはなかったのですが、母の日はトラウマになっています
親の口から放たれる言葉は、いい意味でも悪い意味でも、子どもにとって大きな影響力があります
子どもに執着も未練もありませんが、顔を見たいなぁ…という思いは、時々湧き上がります
離婚してごめんね
でも、離婚したから、私は今生きているのです