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18日目 決断

縁のある人とは、連絡を取らなくなったり、会うことがなくなったりしても、またどこかでつながることがあると思っています
私が拒絶した人でも、縁があれば…ですね
ムシのいい話ですが、そう思っています

とうとう母親との暮らしに疲れてしまいました
顔を見るのもつらいし、話をするのも苦痛でしかありませんでした
元々、子ども時代から、表面的に仲のいい親子をやって来ましたが、表面的な関係なんて、脆いものです

結局、同居2年で、別々に住むことになりました
母にとっては、私の申し出が青天の霹靂だったようで、「私が悪いの?」の言葉に、私には驚きしかありませんでした
休みの日も1日中部屋から出て来ない私の様子を見ているのに、何も感じていなかったようですね
職場でも家でも、安らげる場所のない日々に、心身ともに悲鳴を上げていました
母と一緒に暮らしていても、寂しさや苦しさは増えて行くだけ
今決断しないと、私は本当に壊れてしまうと思いました

まだ、部屋は家主の承諾待ちで、もしかするとなかなか決まらないかもしれませんが…
これは正しい決断だったと思っています
心身ともに壊れてしまってからでは、遅いと思ったからです

高齢の親を持つと、もっと高齢になった時のことを考え、不安になります
今の母を見ていると、彼女が若い頃バカにしていた、高齢者のしていることと全く同じことをしています
健康のためにと、毎朝決まった食事をとります
高くても、必ず決まった銘柄の食材を買います
ガンの定期検診はわかるとしても、何かあれば病院に行き、たくさん薬を飲んでいます

別々に住むことにショックは受けたようですが、今では、買う家電や日用品のことで頭がいっぱいのようです
母親に独占されていたテレビや、汚しに汚された冷蔵庫・電子レンジは持って行って欲しいと伝えましたが、家電は全部新しいものを買うそうです
もはや、楽しそうにしか見えない!
母親が使えるように買った軽い掃除機や、2台あるセラミックファンヒーター・扇風機は持って行くそうです
あと、何を持って行きたいと言うのかな?

母親なりに私に対する気遣いはあったようですが、完全に自分を大切にし、自分のペースを守ることの方を優先していました
私が、一緒に暮らせないと感じた理由を伝えたら、「気付かなかった」とひとこと
鈍感過ぎて破壊力が強いので、HSP気質の私に母との暮らしは最初から無理だったのです
元々自分を1番大切にしたい人だとわかっていましたが、その現実から目を背けていた私が愚かでした

これで会わなくなる訳ではないので、全てが解決した訳ではありません
電話が来るだけでも、きっと動悸がするでしょう
「血」という縁がある以上、母か私のどちらかが先にこの世を去らない限り、私の苦しみは続きます
高校を卒業して以来の母との同居は、改めて彼女の人間性を突き付けられた結果となりました
一緒に暮らすことを望んだ母
後悔したくないと、それを受け入れた私
広い部屋を借りられたら、もっとプライバシーが守れたのですが、大したお金も持たずに離婚した私には難しいことでした

結局、一緒に暮らして後悔したという情けない結末になりました
やはり私は偽善者でした
できれば、今住んでいる部屋を母に明け渡して、私は消えてなくなりたいところです

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