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あとどれ位あるのだろう

列車の中から夏の終わりらしい入道雲を眺めていたら、涙が出そうになった。

今日は家から2時間くらいの所へ泊まり、明日の朝友だちと逢う。その行きすがらの事だった。
もう友だちの住むところには近づいていて、馴染みの山の風景が見える。その向こうには夏の終わりの青空と雲たち。涙の理由は、この光景をあと何度見られるのかと感じたのかもしれない。

はじめてこの風景を見てから17年。あるきっかけで知り合った友だちはちょっと山の方、私はちょっと都心の方に住んでいたから、私がゴトゴト電車を乗り継ぎ、友だちと待ち合わせて車であちこち回るのが楽しみになっていた。
季節の花々を愛で、地元で育てられた蕎麦を食べ歩き、紅葉を眺め、神社仏閣で御朱印をいただきetc。

だけれども、ここ数年のコロナ禍と私自身のメンタルの揺らぎが大きくて、約束したのに朝出かけられない日々が続いた。

友だちが寂しがっている。
電話の向こうからもそれは伝わっていた。

何とかしたかった私は、前日に友だちの住む近くに宿をとり前入りして待ち合わせすることにしたのだ。
いろんなところを回るために、私はほぼ始発電車で行っていた。
心に何もなければ、乗り鉄でもあるしそんなことは苦にもならなかった。なのに心がぐらぐらギシギシすると動けなくなる、そんなものを私は抱えていた、もちろん友だちもそれはわかってくれていた。

でも逢えない寂しさは逢わないと埋められないのだ。

今回は午後にでて、夕方のチェックイン。
その途中での事だった。

あと何回、この車窓からの光景を
見る事ができるのだろう。

かぎりなく果てもまだ見る必要もない、そんな年代ではない。数え切れる年数なのだ、おそらくは。

回りに言えばまだ早いと言われるだろう。親でさえ、やっと先日終活らしきものを始めたばかりだから。
それでもかぎりが見えてきたということは、終活という形で考えていくのも、悪くはない気がする。
幸い友だちとはひとつしか歳が変わらない。
逢ったときに、話してみようか。

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