美の呪縛に縛られてる?!創造的魅力について
久しぶりに韓国ドラマを観て思ったんですが
女優さんのまあ、綺麗なこと❗️
韓国では芸能人は完璧でないといけないらしく
完璧でないと叩かれるとか。
怖いですね!
完璧って、言葉を聞くだけで
なんかチカラが入ってしまう不思議。
理想の顔、完璧って
一体なんなんでしょうね
顔のカタチが卵形で小さいこと
歯並びが完璧で、白いこと
目はアーモンドアイで睫毛が長いこと
鼻筋が通っていて小鼻が小さいこと
肌が透明感があってキメが細かいこと
髪が艶があって痛んでないこと…
確かに美しいです
美しい、完璧。
サイボーグ感もある
でも美しい顔かたちと
魅力は全く別ものです
わたしは渡辺直美さんが大好きなんですが
彼女のような
魅力的な人を見て思うのは
魅力は体型や
顔の造作を超えた場所にある
別のものなんだという確信
渡辺直美さんて
ご存じの通りあの体型です。
日本人の基準で言えば
だいぶ、ふくよかな体型ですが
あの人は
自分基準なんですね
誰かの体型になりたいとか
誰かの顔になりたいとか
全くなし!!
渡辺直美さんが魅力的なのは
他の誰でもない、
渡辺直美さんが渡辺直美さんだからで
素敵だな、とか
カッコいい!とか
なぜか惹かれるのは
渡辺直美さんの在り方です
渡辺直美さんは汗をかく量が半端ないらしく
メイクをしたときにいかに、崩れないか。
汗をかかないか、ではなく
汗をかく前提で
汗に強く崩れにくいファンデーションや
その他アイテムを選ぶそうです
わたしが、合わせにいくんじゃなくて
わたしに、合うようなもの選びをする
その、わたし基準、
変えないし、変わらなくていいっていう
視点がめちゃくちゃ魅力的
わたしなら、汗をかかないように
必死に努力するだろうな、とか。
例えばダイエットするのかもしれない、とかね。
自分を変えない!って一見
ワガママに思われそうですが
彼女は周りと線引きするのではなく
謙虚さと自信が両立していました。
横柄な感じは微塵もなく
共演者やスタッフに対する気遣いも
わざとらしくなくて自然体
実態は知らないし
本当に見た訳じゃないけど
この方は根っこから良い方なんだろうし
自然体でありながら、自信も滲み出ていて
自分に似合うスタイルを知っている
この人にしかできない、オリジナルな表現。
これが人気の理由だと思います
そもそも美の基準なんて
誰が決めたのかさえ、はっきりしないもので
国や時代によっても変わったりしますよね。
同じアジアだけど
韓国と日本でも全然違いますよね
そもそも
美の基準て、曖昧なんです。
だから、その、曖昧で変わりやすい基準を
自分の中心にしたら
自分の魅力は永遠に自覚しづらいのは
当たり前のこと。
自分を魅力的だと思う人はあまりいません。
理由は、単に誰かと比べていたり
自分の魅力を知らないから
というだけですが。
美の基準は、自分で作ればいいし
魅力を知るって
そんなに難しくありません
だって在るんだもの
こうじゃなきゃ、美しくない!という
美の呪縛は一見ないようでいて
じわりと纏う空気みたいなもの
自覚がない場合もある
だけど、だからといって
縛られてる!と思ったら
気づいたときに解き放つだけで
考えぐせ、思考も変わります
縛られてるー!に
良くも悪くもなく、ただ呪縛があるかも。と
認識したことが大事なんですから。
そもそも人間は生まれた時点で
違いそのものが美しいので
なにかの基準に縛られるということ自体が
もったいないし、
本来必要ないことだと思います
魅力は、ある意味、意図して創造するもの
ある。という認識を持ち
自覚をするから
魅力が魅力として内側から出てきます
無人島で大木が倒れたら
音は存在しますか?
音を音として捉え、認識するひとがいなければ
そもそも音は存在しません。
事実として存在しないんです、
例え。在っても。
魅力ってそんな感じです。
何もない、白い画用紙に
好きな絵具をのせていくと
好きなテイストが混ざり合って
そこにしかできないものが出来るように
創作品、アート、
作品になる。に似ています
だから、わたしは魅力をお伝えするときも
創造的魅力
と読んでます