【405/1096】私は男でフェミニストです/チェ・スンボム著
405日目。人に会うときのデフォルトモードが肩をすくめる感じになっているのかも?と見直し。寒くなると肩をすくめたくなるが、肩をすくめても寒さは変わらない。だから、すくめる選択しない。これの繰り返し。
男性フェミニストのセミナーに参加
韓国で高校教師をしているチェ・スンボムさんと、小学校教師の星野俊樹さんの対談セミナーを視聴した。
イベントは日韓両方で視聴可能だったようで、当日は参加できなかったが、録画で視聴し、日本語と韓国語の動画があり、ちょっと両方聞いてみたりした。(通訳がないとわからないので大変ありがたいが、同時通訳だと通訳さんの声になってしまうので。その人自身の声をききたい派である。)
星野さんは「きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ」を書いたときにお話をさせてもらったご縁でつながっていて、こちらの記事もとても共感しながら読んだ。
男子学生だけが、上半身裸で競技をさせられるのは、私もものすごく疑問だった。
しかも騎馬戦は、ぶつかり合うし、ころぶのに、肌がむき出しだったらケガもしやすくて危ないのに、と学生時代も思っていた。水着も、なぜ男子は上半身裸になるのか?と疑問に思ったが、「それが普通」と言われると、そういうものなのかと当時は思っていた。
中学時代、先生が竹刀を持って暴力で生徒を制するようなことがよくあったので、男子は廊下で殴られて鼻血を出していることもよくあった。
女子も殴られていたので、ある時、1人の子が耳から血が出て大騒ぎになったことがあったけど、男子は鼻血を出しても「それが普通」になっていた。
チェ・スンボムさんの著書「私は男でフェミニストです」
チェ・スンボムさんの「私は男でフェミニストです」も読んだ。
これを読んで涙があふれた。
「百のうち一つも間違えないように」と乳児を抱えて頑張っていた自分が報われた気がしたからだ。
チェ・スンボムさんは、自分の母親を見て、韓国社会はどうしてこんなに女の人に厳しいのだろう?と疑問を思ったと言う。父親の3倍稼げるほどの優秀さを持っているのに、母親は兄と弟のために進学できず、家事労働はすべて母親のもので、朝一番早く起きて、夜一番遅く寝る。父親は、母方の祖父母の面倒は見ないのに、母親は父方の祖父母のところへ毎週のように通う。
法事や正月に親族で集まるときは、男たちはテレビを観て横になったりソファでくつろいだりしているが、女たちは全員台所で立ちっぱなしで働いている。それを男たちは当たり前のように享受していて、感謝を示すこともない。
韓国では、言葉遣いも顕著で、例えば、妻の弟に夫はため口で気軽に話すが、妻が夫の弟に話すときは、敬称(様つき)をつけ、敬語で話す。
日本でも今ではそんなことないが、昔は、夫に妻が敬語で話すのが当たり前だったが、夫が妻に敬語で話すことはない。
この問いに、「拾ってゴミ箱に捨てる」と答えるのは小学生でもするだろう。
しかし、実際に吸い殻を拾って捨てる人は驚くほど少ない。
とスンボムさんは言う。
網のように張り巡らされているが、明文化されないルールは権力者にとって寛大になっている。
暴力が悪いことではないと思っているから、体罰しているわけではないのだ。
「性暴力事件はどのようにして起きるのか」
性暴力も同じである。
チェさんは、大学時代に教授が起こした性暴力事件2つについて書いている。
性暴力の構造は、世界共通だ。
権力や地位、力の差を利用して性暴力を加え、被害者が訴えると黙殺する。そして、「そのようなことはなかった」ことにしようとする。
世論が自分に不利になると、そういう意図はなかった、とか、合意の上だった、とか、そのように取られたのなら申し訳なかった(つまり、被害者の受け取り方が悪い)という責任逃れを始める。
さらに司法にかけられると、突然態度を変えて、本質を濁そうとしたり、自分の方が被害者であると訴え始めたりする。
被害者の服装や生い立ちや、対人関係やありとあらゆることに言いがかりをつけて、半分脅迫交じりの示談を試みる。
しかも、裁判所はほとんどが男性(権力を持っている男性)で構成されており、加害者側に寛容で、驚くほど軽微な処罰やありえない無罪判決がでる。
裁判所にありえないくらいの一般市民の怒りが過熱してはじめて、ようやく一般市民が納得できる判決が下される。
この間、闘っているのは被害にあった側である。
性暴力被害にあっただけでも魂の殺人であるにもかかわらず、見ず知らずの第三者からなぜか猛烈な上から目線で身に覚えのない誹謗中傷を受け続ける。
人として正当な要求をしていることが、まるで犯罪をおかしているかのように責められる。
そして、この被害に遭っているのは、90%以上が女性であるということも世界共通である。
これは何かがおかしいと思わないのだろうか?と思う。
私はこれは社会の構造がおかしいと思っている。
しかし、この事実を女性が言うと、
「すべての男性が加害者(性犯罪者)ではない」と、
論点のすり替えをしてくる。
もしくは「(そんなことを言う女は)恐い。話すことはできない」とか、「男だって大変なのだ」とか。
そして、被害者が声をあげると「受け身で消極的でない被害者」を理由に非難する。
被害者は笑ってはいけない、とか、怒りをあらわにしたり、真相究明を求めてはいけない、とか、頓珍漢なことをさも自分に正義があるかのように言ってくる。
事実を事実として認めることは、至難の業なのだなあと思う。
特に、自分が事実として認めたくないことを認めるということが。
別にこれは男性に限ってそうだと言いたいわけではなく、自分も含めてそれが人間と言うものの業であるなと思う。
だからこそ、事実を認識できるように努力する必要がある。
このことを、男性であるチェさんが言葉にして訴えていることにとても意味があると思った。
性別格差
韓国と日本は似ているところも多いので、読んでいて共感できる部分が多かった。
チェさんは、国語の先生で、言葉にも非常に興味を持たれていた。
言葉も差別が含まれているということをおっしゃっていて「男女という言葉は男を先にしている」(男を先にしている言葉は、普遍的にしているものが多く、女を先にしている言葉は女を卑下するものが多い)と指摘していた。
たしかに。
性別賃金格差は、2022年韓国はワーストの31.5、日本は下から3番目で22.5だ。
日本の男性の平均賃金を100としたとき、日本の女性は77.5しかないということだ。
2021年のジェンダーギャップ指数は、日本は120位で、韓国は102位である。日本はASEAN諸国の中でもワーストである。
それ以外にも、ガラスの天井指数、家事労働指数、性暴力犯罪件数、デートDV件数、セクハラ件数など、日本だけではなく世界の数値がことごとく性別格差を示している。
人口の半分を占めるにも関わらず、女性は弱者なのである。
普段、エビデンスや数値で効率化、合理化が大好きな人たちに、こうした数値を見せると、途端になかったような対応をすることがある。
「はっきり数字が示している」ということが、全然通用しない世界になるのだ。
そのことが、本当に興味深い。
人は見たくないものを本当に見ないのだなと、ある種、感動するほどだ。
だけど、見ないということは、それほどにそこに痛みがあるのだろう。
私は男でフェミニストです
フェミニズムの話をすると、「男はずるい」と責められているように感じるらしく反発される。
そうではない。
この構造自体が、男性も苦しむようにできている。
男はこうでなければならないとか、男は泣いてはいけないとか、男は1人で耐えなければいけないとか、男は・・・と苦しめられていることがたくさんあるではないか。
男だから自信満々でなければならず、女だからおとなしく受け身でいなければならないと縛られていることがある。
フェミニズムは、そうではない構造を作り出すための思想であり考え方である。
チェさんも、自分は非当事者であることを自覚しながら、でも、「わからないから学ぶ」とフェミニズムを学び始めたそうだ。
そして、男がフェミニストになれるだろうか?と模索しながらも、女性の話より男性の話を信頼する男が多いことや、男性上司の聞き捨てならない発言に「最近はそういうことを言ったらたいへんなことになる」と制止するのも、フェミニズムに嫌悪感を示す男性同僚を説得するのも、同じ男がやるとスムーズに行くことがあり、そして、自分自身もその「男らしく」から解放されるためのフェミニズムなのだと言っている。
正しさを押し付けたいわけではなく、
ただ目の前にいる人の話を、その人の存在を感じながら聞くことができるということだ。
という言葉があるそうだ。
そして、チェさんは生徒さんにフェミニズムの話をきいてもらうために、自分は生徒にとっていい人になろうと努力しているとおっしゃっていた。
私も、正しい人ではなく、いい人になろう。
チェ・スンボムさんの「私は男でフェミニストです」はとても読みやすくておススメです。
韓国はフェミニズム関連の良質の本が出版されてます。
なかでも、チョ・ナムジュさんの小説はお気に入りです。
韓国じゃないけど、フェミニズム入門書として有名。
巻末に載っている男フェミのための読書案内のほとんどが未邦訳なのが残念過ぎる。
では、またね。
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