【255/1096】名前がつく安心と、そこに居続けてしまうとリスクになること
255日目。学校公開日で授業参観に行く。昨日の日記で子がすごい自主的に学習していたのはもちろん一日で終了し、今日はまたテレビがやめられない。そりゃそうだよねーと思う。でも、まったく同じではなく、少しずつ違うこともある。そのことに気づいていよう。
さて、今日は名前がつくとホッとするけど、その名前に安住しすぎるとちょっとリスキーだなーと思っていることについて。
HSP診断テストというのがある。
↓こういうの。
https://hsptest.jp/?fbclid=IwAR3cOlpWWc42tRMJlR0ln9K6p072v4bZuwzd1VbN-PArVMmB90DkwQ_yEsA
こうした診断で、ああ、自分はHSPなのだなと自覚することができた。
(ちなみに上記のサイトではスコア115)
HSPは、Highly Sensitive Personの略で、通常よりも敏感にいろんな刺激を繊細に受け取ってしまうので、それを感じない人との差異があるということである。
私はイルセ・サン氏の本を読んで、自分がこれに当てはまると知り、ホッとした。
自分がいろんな些細なことが気になって、ほかの人と違う感覚があるということに名前がついて、私だけの現象ではないと知ったからである。
生きづらかったのはHSPだったからだ!と安心した。
時計の針の秒針の音がすると夜、眠れなくなる。
わたしはHSPだから。
人込みでだんだん気持ち悪くなる。
わたしはHSPだから。
などなど。
いままで、「私はおかしいのでは?」「人と同じにできない」と自分を責めていたのを、責めなくてよくなったのだからとても楽になった。
しかし、その一方で、自分をそこに決めつけてしまうと、ずっとそこ(=生きづらい)に居続けることになる。
もちろん、HSPであること自体は変わらないのであるが、
「HSPだから生きづらいのは仕方がない」と諦めてしまうことにつながるとそれはリスクになる。
例えば、人込みでずっと気持ち悪いままになったら、外出もままならないので不便だ。
HSPだから仕方がないと引きこもってしまうと、自分の可能性が狭まる。
(引きこもるのが悪いと言っているわけではないので、念のため。)
私の場合、呼吸・整体をやって、呼吸で身体をととのえていったら、人込みで気持ち悪くなるのがなくなった。
HSP資質が変わったわけではない。
でも、敏感に感じている刺激を受け流せるようになることで、身体の中に押しとどめていなくなるので、生きづらさは解消されていったように思う。
そういうこともある、ということのひとつだけれど。
名前がつくと、
安心する面と
そこに安住して決めつけてしまう面と
両方ある。
安心することもとても大切だから、名前がつく、安心するのが悪いわけではなく、そのあと、そこで決めつけすぎないというのが大事だなと思う。
名前がついても、人それぞれ違うし、
人それぞれ変化する。
変化した先で、名前がまた変わるかもしれない。
人は変わり続けるから。
それに、もともと人はみんな違うから、カテゴリーに入っても、カテゴリーに収まりきらないのだよね。
違うということを責めたりいやがったりするのではなく、違うのが当たり前ということから始めればいい。
では、またね。