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いつのまにやら
自分を責めて、自分をダメ人間にして、ずっと自己否定をしてきた。
自分をいじめる天才だった。
人の顔色ばかり伺って、人に合わせることにばかり気を取られていた。
「もう自分をいじめるのをやめる。私は私のことだけ大事にする」と肚から覚悟を決めたのが、2018年3月1日。
つい最近のことだ。
肚から覚悟を決めた。
覚悟を決めるまで、40年以上、かかった。
いじめている自分と、それを苦しがっている自分と、全部をただ愛している自分がいる。
そのことがようやく観えるようになった。
いじめてる自分も、苦しがっている自分も、自分の一部だけど、全部じゃない。
それに取り込まれているのに、気づけるかどうか。
気づくために、胆力がいる。
肚のちから。
肚に居続けるちから。
ちからと言っても、能力ではなくて、何かできるとかでもなくて。
するっと逃げないでいることができる、とでも言うか。
苦しんでいるときは、
自分をせめて無力化するか、他人をせめて無力化している。
自分をせめている、と思っているけれど、
本当はそれと同じだけのパワーかけて他人のこともせめている。
そのことに気づくと、軽く絶望する。
私は、私を責めてこんなに苦しんできたと思ってきた。
他の人を責めるなんてとんでもない。できないダメな自分がダメなんだ、と言うループの中にいたから、他人を責めてるなんて全く思いもしなかった。
している自分に気づけていないことにも気づいていなかった。
それでも、自分を諦めることができなかった。
がっかりして、絶望して、落ち込んだりもしたけれど、
大丈夫な自分にも気づき続けることをしてきた。
瞑想し、呼吸をし、どんな時も気づき続ける。
肚で生きる。
どうやって????という問いを繰り返しながら、
ただただ意識の在り方を探求した。
いつのまにか、自分を責める自分の声が気にならなくなり、
他人を責める自分の声も気にならなくなった。
声が聞こえても、それを選択しないを選ぶことができるようになった。
愛とは、自分への信頼である。
絶対的な揺るぎない信頼。
わたしはまだ、揺らぎまくってしまうけど、
以前に比べたら、信じられるようになってきている。
40年以上いじめ抜いてきたんだから、あとの40年は甘やかしたい放題甘やかしてもいいんじゃないか?(笑)という茶目っ気たっぷりの声も聞こえる。
女の人生は40歳過ぎてからが面白い。
とココ・シャネルが言ったそうだけど、
これからがますます楽しみだな、と思う。
くだらなくて、だらしなくて、うっかりで、パンちくりんな私。
人から見たら、不十分で、足りないものだらけ。
だけど、もうわたしは、このわたしをただ丸ごと、わたしのまんまで
誇りを持っていこう。
今日も、さっそく、スマホをどこかに置き忘れた!やばい!!!(と慌てて探したら、お店のお姉さんが見つけて優しく返してくれた。)
ドジで間抜けだけど、それもまた愛嬌ってことで。
誰かに迷惑をかけながら、お互いさまで。
いつのまにか、
だけど、
確実に変わる。
自分が本気で覚悟して、行動しつづければ。
それを体験している今日この頃。
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![Mayumi INABA](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/73548035/profile_aae2041a5a0dc31605c669a0c11967ac.jpg?width=600&crop=1:1,smart)