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【990/1096】みとめて、感じる
昔、ある研修で、「認める」とは、「見て+止める」であるということを学んだ。
この「見て、止める」つまり「とどめる」ことが承認(Validate)であると。
Validateは、うまく翻訳しづらい単語らしく、日本語の承認ではないというのもそのときに言われて、「有効化」することだという話が心に残った。
相手の存在そのものを見て、止める。そして感じる。
そうすることで、有効化される。
みとめて、感じることで、気づく。
気づきは、知識をどんなにつめこんでも起きない。
何冊もの自己啓発本を読んでも起きなかった気づきが、瞑想による身体感覚への意識の集中とともに起きる。
はっと気づく。
認知だけではなく、身体と心、魂が一体となって気づく。
身体がベースになったときにそれが起きる。
見て、感じるのは、身体があってのことだから。
ここに存在しているのは身体があるから。
他人に正直にならなくてもよい。
自分には正直であることだ。
毎日、同じ木を観るという瞑想をしていたとき、
「なにも変化がない」気がしてくる。
昨日と同じ、今日。今日と同じ明日という錯覚。
けれど、そう見ているだけで、実際には、昨日と同じ今日などない。
その存在をただ感じると、あちらもこちらの存在を感じてくれる。
メルロ=ポンティは、
『見るという行為は対象を客観的に見るのではなく、その世界に自分が取り込まれて共存に至る』
ということを「眼と精神」の中で論じていた。
木が、ただの木ではなくなるまで見る。
見て、止める。
そうすることで感じることが変わる。
そのとき感じることが、自分の存在そのものである。
では、また。
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