【723/1096】自分がどうしたいか?
2人目の産後に、あまりに切羽詰まっていて自分がかなり崩壊していた時期に、赤子をつれていろいろな場に行った。
役に立ちそうなところに片っ端から行った。
この自分をなんとかしないと、育児がかなりやばいという危機感があった。
夫に対する不満は毎日膨大にふくらんでおり、「こうしてほしい」は次から次に出てきたけど、そのときに、「あなたはどうしたいんですか?」と聞かれてものすごい怒りが出てきた。
どうしたいかわからないから困ってるんだ!という怒り。(八つ当たりというのか…)
そういうとき、「じゃあ、こうしたらどう?」「〇〇というサービスがあるよ」などなど、親切にいろいろとアドバイスしてくれて、手を差し伸べてくれる人たちがたくさんいた。
でもそれは、そのときの自分には、ほとんど役に立たなかった。というか、その場しのぎ的には助かったこともあったけど、根本的な解決にならなかった。
なぜなら、「自分がどうしたいか」がないから。
自分がどうしたいかわからないというのは、自分の好きなことややりたいことがないというのとは違う。
今、自分がどうしたいか?がわからないというのは、自分で決めるのを放棄しているということだ。
自分の感覚を放棄している。
自分でどうしたいかを決めないなら、人に決めてもらうしかない。
自分の感覚を放棄して、完全に人に決めてもらったことを遂行することが出来る人もいる。
ユダヤ人虐殺の責任者だったアイヒマンのように。
しかし、人に完全に決めてもらったことに唯々諾々と従うというのをするのはイヤだが、自分のどうしたいはわからないというとき、どうなるか?
自分のどうしたいを人に見つけてもらいたがるようになる。
意識的にというよりは、無意識にそうするというか。
その場合、うまく的確に言葉にしてくれた人に会うと、すごくいい人でこの人は私を理解してくれる、私の話を聴いてくれると思う。
そして、自分のどうしたいをうまく見つけてもらえないと、寄り添ってくれない、わかってくれない、話を聴いてくれてないと思う。
自分で自分がどうしたいか?を自分に問うて、それを見つけ、決めるという作業はすごく大事だ。
自分で決めていいと思ってなかった・・・ということも間々ある。
だけど、自分の人生はほかの誰も責任をとってくれることはないし、代わりに生きてくれることもない。
そして、自分がどうしたいか?は、頭だけで考えて出す答えではない。
自分の感覚と一致するか?が重要で、その感覚とは心底、中心の感覚である。つまり、肚感覚。
この肚感覚がわからなくなってるから、どうしたいかわからないとも言えるが。
だから、自分で自分のどうしたいを決めてないような状態だったら、もう肚感覚は覆い隠されつくして、どこにあるのかわからない状態になっている。
でも、その感覚は必ずあるので、その感覚を取り戻すことが大事。つまり、自分がどう感じるか。
今の感覚は、なんだかわからない状態になっていたとしても、とにかく、自分が感じることで決めてやってみるしかない。
やってみて、ダメなら、ダメという結果が出るだけだ。
やるまえに、〇か×かわかることなんてない。
しかし、自分で決めてこなかった人が、自分のどうしたいを決めるのは、ものすごく勇気がいる。
私は、選ぶのがすごく怖くて、迷いに迷ってしまい迷宮入りして、挙句に変なところで勇気を出して、どーんとぶつかって谷底に落ちるというのを何回もやった。
たしかにやらなきゃわからないのだが、そうは言っても、どーんとぶつかる回数を減らしたいと切実に思った。
要は、決めるときの基準が欲しかった。
そして、見つけたのが、「息」である。
自分の呼吸を基準に選ぶという教えと学びがあり、それをやることにして、今も学んでいる。
正直、息で決めると言われても、やり始めた当初は乱れに乱れていたので、なんのこっちゃさっぱり??みたいな状態ではあったが、それでも、やっていくうちに、すごく落ち着いた状態があらわれ、これ!という感覚を少しずつ取り戻してきた。
今だ、その感覚は更新され続けている。
今日もまた、「えーーーー、今までの私の感覚はなんだったんだ・・・」ということがあったけれど、でも、これがあるということはまた一つ可能性がひらいたってことでは?とも思う。
この感覚を大事にしていけば、大丈夫という信頼がある。
けっきょくのところ、自分がどうしたいか?を決めるのは、自分である。
誰かにそのハンドルを譲ってはいけない。
では、また。