自己の解放というのをやっと実現しつつある私
自己の解放ということについて
急に降りて来たので語ろうかと
なぜこんなことになってるかって
私が好きなアメリカ在住のドラマーさんが
彼女の両親にご挨拶するために日本に来たというのを聞いたからかもしれません🤣
なんのこっちゃですよね
順に話します
というのも、彼は50を過ぎていて
彼女は彼よりかなり若いけどアラフォーに見えて
そして二人は当たり前ですがラブラブで(言い方)
女性の方の色っぽさになぜか私がやられているというところなんですね
今の私、そんなに女性性を出してません
ていうか昔から「女である私」と言うのが嫌いだった節がありました
それは親のせいでもあります
小学生の頃の私
なんとは無しに鏡をのぞいておりました
その時どう言う感情を持っていたかはもはや覚えておりません
ただ、母に言われた言葉はハッキリと覚えています
「自分のこと可愛いとおもっとん?別に可愛くもなんともないのにそんなに鏡を見んでええ」
……なかなかショッキングだと
今思い出しても感じます
そもそも私は男に囲まれて生きて来ました
弟二人に近所に住む従兄弟たち(全員男)
その子たちに「ねーちゃんねーちゃん」と頼られ
舎弟を抱える姉貴、ならぬ兄貴のようなところがありました
何かあれば私は「女だから」と手伝わされ
ちょっとワンパクなことをすると
「女のくせに」と言われ
また何かあれば「お姉ちゃんだから」と我慢もさせられ
私の中では「女って損」としか思えない環境だったんですね
元々の素質もあったとは思いますが
そんなふうにガチガチに女性性を閉じ込めて来た人生でしたね…
数ヶ月前にとあるスピリチュアルなセッションを受けてそこで対峙した自分の本音
それは「女性として輝きたい」でした
でも、それは髪を伸ばすことでも化粧することでもない
「自分の中の女性性を否定しない」でした
これはなかなか衝撃的でしたよ
でも、少しこれを意識するだけで自分の中で変わって来たんですよね…不思議
で、振り返るに
私の女盛りであろう20代後半に
それを蓋していたのはもったいなかったな、と
現実は結婚もしたから
ちゃんと出せてた?とも思うけど
自分の女性性に自信がなくて
自分のことを好きになってくれた人と付き合って
そして結婚した、と言う現実
そして、相手がNPDで
自分の思うようにできる人(私)を選んだに過ぎず
果ては子供に死ぬかも、と思わせてしまうような出来事にあわせてしまったこと…
ああ、全ては自己否定から始まっていました…
これは女性性だけでなく
自身の全てを「否定」し生きて来たせいだと思いますよ、本当に
数年前に、初めて小学校の同窓会らしきものに出て、当時一緒に学級委員を務めた彼に言われた言葉
「お前ええ感じで変わっとるな」
本当は元からこんなちょっとおちゃらけな性格なのに
小学校中学校、高校までは出せなかった…
なぜなら親に「怒られる」から
ガチガチの真面目な優等生でした
大学で親元を離れて少しずつ出せるようになったのはよかった
そしてやっと最近ですが
離婚してからブレーキをやたら踏む人と離れて
これからが本来の自分に戻っていくんだな、て感覚がすごいある
とはいえ、親の近くに住んでいるので
時々引き戻されたりうんざりすることも結構ありますけどね
(昨日は親からの電話で疲弊した)
自己の解放とは一言で言えるけど
それはそれは長い道のりでした
わたしにとっては