台湾と私の10年間。1
2013年の離婚した当時、実家の化粧品事業をやっていました。
プロローグ
離婚もしたし、出来ないと思ってたことにチャレンジしよう。
それが、自社商品の海外への売込み。
といってもコネもノウハウもない。
とりあえず県庁さんに相談したけど、青森は食品だから…という答え。
変わりに「こういうのあるよ」って教えてもらったのが、台湾の銀行と日本の経済連のコラボ交流会でした。
その交流会はお隣県の盛岡で開催だったのですが、行ってみてびっくり。
馬鹿みたいに(失礼)人がいる。
商談も、どの企業も長蛇の列で心が折れそうになったけど、交通費かけて来たし!と頑張って1社。
その1社さんが日本語も話せてとても良い方で、そしたらたまたま参加していた知り合いの地域商社の方が
「絶対連絡取って、行けるなら台湾も行ってみて来たほうがいいよ」
って。
もちろんアドバイス通り行きました。
はじめてのアジア。
はじめての台湾。
そしたらミラクルが起きました。
そのたった1社しか商談してない会社さんと独占代理契約を結ぶことになったのです。
しかも、その契約を地元の新聞社が取り上げてくれ、当時の経済連の担当の方がその記事を見つけて台湾の銀行に共有してくれ、台湾の銀行さんから連絡をいただき、台湾のことをたくさん教えて頂いたり、青森と繋げさせていただいたり仲良くしてもらいました。
まさに、人脈わらしべ長者。
もちろん右も左も分からず飛び込んだアジアビジネスなので、その後は凄く大変だったし、何度も何度も転んだけど、人脈という意味では本当に恵まれ続けたと思う。
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