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人生を変えてくれたお二人

悲しいというより、とても残念でならない事です
古事記の師匠が相次いで身罷られました

人間はいつかは、亡くなるのですけど
何歳で亡くなっても、天寿だとも言うけど
なんとも、残念で、悲しいです。

古事記の事をまったく知らなかった
2014年。

天之御中主の読み方もしらない、天孫降臨も知らない
そんな私に、古事記の初歩を「名前で紐解く神話」で教えてくれました。

日本のしきたりや生き方、ひめの力も含まれていた古事記

今の私の古事記講座のベースになっています。
神様の名前が、なぜ長いのか
どんな意味があるのか、どんな使命があって、この名前なのか
と教えてくれたのです。

その山下先生が昭和99年9月9日と言う日に亡くなられた。
なんと言う日なんだろうか

9は、わたし的に、上がり、受容、平和、次のステップ
なんてイメージが沸きました。

この日に亡くなる、何かの意味があるのだろうか。
もう、やる事はやった。と言う事か
などと思ってしまった。

2018年に名前のことだま協会は脱退したので
その後はの事は、あまり知らないが、最近のブログを見ると、会員さんも増えた様で良かったです。

そう、「名前のことだま」なんです。
実は、私は自分の名前が嫌いでした。

で、この名前のことだまで、名前が持つ、
意味や使命を知る事で、自分の名前にそんなミッションが有ったのか。

それは、ある意味衝撃的
名前にある秘密
使命、働き

それを自分は知らずに、周りの人の方が良く知っているという事実

だから、私にいろいろ聞いてきたのか。と納得。

そうか、私の名前にそれがあったのかと、名前を受け入れる事が出来ました。

自分の名前を受け入れると、人生も変わって来ました。
自分の使命をちゃんと活かす事が出来る様になったのです。
活かすと人生変わって来ました。

だから、私の人生を変えてくれた方でも有ります。

かねてから、闘病中とありましたが、安らかに眠られた事とと信じて居ます。

そして、もうひとかた
小野善一郎先生
9月18日に帰幽されたと連絡を貰いました
1と8で9
またもや「9」の世界です

6月に手術をされ闘病中は知ってはいたのですが
まさかこんなに早く天に召されるとは思ってもいなかったので、ショックと言うか、残念です。

小野先生からは
古事記の読み方、そして面白さを教えて貰いました。

名前のことだまで、入門的な事を教わり、小野先生の勉強会では、古事記の解釈は理論ではなく、感性で読む。と奥深さを教えてもらう。

だから、腑に落ちなかったことは、そう言うことか
頭で考えてはダメなんだ。と
古事記ががぜんと面白くなり、日本人に生まれて良かったと思ったのです

 気づくと先生の勉強会に5年も通いました。
なんど聞いても、いつも違う所で感銘を受けます。
・日本人の魂
・一貫の命
・最初っから有る命、だからなくならない
・生まれた時は無垢 生きていれば、異心は起きる
・それを自分で、祓い浄化できるのが、大祓詞
だから、大祓詞をもっと沢山の人に広めたい。

この事をもっと沢山の方に知ってほしいと、最初に作った古事記講座に肉を沢山付け、私なりの解釈で講座を作り直しました。
 「現代にも通じる古事記」と言うイメージです

小野先生と出会わなければ、大祓詞の事も、新嘗祭の事も知らずに終わりました。
 今の講座も完成していません。

 先生から教えて頂き、受け取った、古事記は日本人の生き方のバイブルと言う気持ちを大事にして講座を開いて行きます。

 小野先生はとても面倒みも良く、どこかの神社参拝に行くと、お伝えすると、
そこに行くなら、ここにも参拝して
正式参拝するなら、連絡して置くよ。と忙しいのに、ご手配いただき、本当にお世話になりました。

まだまだ、やりたい事があったと思います。
さぞかし無念だったと思います。

神職で神に仕えて、あれだけ徳を積んでいても、病には勝てなかったのか
それとも、病を押して、頑張り過ぎたのか
といろいろ考えが巡ります。

 湯島天満宮の在職の時は、月に70回も南へ北へと行って古事記の勉強会、講座を開いていました。

生前の爆発的エネルギーは凄いモノでした。

でも、思い起こせば、なんどとなく体調は崩されていました。
 それでも、伝える事が自分の使命として、走り廻られていました。

勉強会で受けた、先生のエネルギーは、後世に残すべきモノ
あの場で、勉強した者としては、少しでも多くの方に古事記を伝えて行く事を、今回の事で、新たに強く思いました。

古事記を伝える事は、私のライフワークになる事と思います。

お二人の御師の葬儀には参列は叶いませんが
山下先生へは、ことだま友人と白山神社にお参りをすることで、ご冥福を祈りしました。

小野先生には、火葬祭の日に大祓を奏上することで、ご冥福を祈りしました。

奏上をしていると、不思議と先生のお姿が走馬灯にように浮かんで来ました。

 初めて先生にお目にかかった日の事や、胸をたたく姿。
あの声
胸が熱くなる想いで、奏上し終えました。

先生の残したものは、素晴らしい
門下生(勝手に決めてます)としては、この火を消さぬように伝えたい。

先生のご存命中には渋川八幡宮参拝が叶わなかった。
こんなに早くにお別れが来るとは思っていなかった。

横浜の勉強会でご一緒だった人達と、参拝に行く事にしました。

2021年に正式に渋川八幡宮の宮司になられました
その数年前から、代打に行かれていて、2019年には横浜の勉強会も一旦お休みなりました。

その何ヶ月前の写真
なんでツーショットで撮ったのか、記憶が定かではないのですが、私が何かのお話をしたことで、撮っても貰ったのだと思います
オンラインで古事記講座を始めました。ってことだったかな。

良い記念になりました。

小野先生とツーショット

いつでもそうなのだとは思いますが、
自分の人生自分で作る
しかし、いつ終える時が来るのかはわからない
だからこそ毎日を楽しく
心置きなく過ごす事が大事ですよね

私に大きな影響を与えてくれた、お二人に
心から感謝とご冥福をお祈りします。

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うずはし まゆみ(てらこ箱)
拙い記事を最後までお読みくださりありがとうございます。 お時間ありがとうございました。 まだまだnoteがなんであるかわかりませんが、楽しく書いていきますので、今後も宜しくお願いします