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よくある名前の私だけど。

子どもは親を選べない。そして、一生ついて回る名前も基本的には自分で選べない。(改名という手段があるにはあるが。)
神から与えられた生命に、親から与えられた名前を掲げて、自分の力を超えた運命に身を委ね、生きてゆく。

思春期の頃、自分の名前が嫌でたまらない時期があった。
ある日の夜のニュース報道。
1987年(昭和62年)の大韓航空機爆破事件。犯人は北朝鮮の女スパイ「蜂谷真由美(ハチヤ マユミ)」と名乗る女。私と同じ名前だった。当時、かなり大きなニュースだった。その時、私は中学3年、思春期真っ只中。社会ニュースには全く興味のないタイプだったが、この犯人の名前は忘れられない。私にとっても忘れられない事件があったから。

その夜、家族でニュースを見ていた。
あの大韓航空機爆破事件のニュース報道の後、偶然にも、再び私と同じ名の女による事件が報道された。殺人か窃盗か、なんの犯人だったかは忘れたが、母が嘆いた。
「まただわ、嫌ね。この人も真由美だって」
私に向かって、
「真由美、将来、嫌だったら名前を変えればいいよ」
母としては娘を心配して言ったのだろうが、私にはショックだった。
名前を換えろだって?!名前をつけたのはお母さん、あなた達でしょう?!
嫌だったら換えろなんて、無責任すぎるんじゃない?泣きたい気分だった。
横で妹が笑っていた。私は何とも言えない嫌悪感を感じた。
当時の私は憂鬱な思春期真っ只中で、父との関係もあまり良くなく、何かにつけて意見が衝突した。勿論、私はいつも親の権威で黙らされた。母も、父親に逆らうな、子どもなんだからと言うばかりだった。
そんな中、自分の名前を否定された私は、まるで自分自身を否定された気分だった。

普通、名前には親から子に託された思いがあるはずなのに。幸せになるように、幸子(さちこ)とか、夏に生まれたから「夏美」とか。何かに因んでつけたり、願いを込めてつけたり。それなのに、私の両親は私に適当に名前をつけたのだろうか。
それは悲しすぎる。名前が嫌なら換えろと言われても、私はこれまでずっと真由美として生きてきたのだ。毎日、この名で呼ばれ、この名を名乗ってきた。
この名前は恥ずべきものなのか?両親にとって、私がこの名前を捨ててもいいのか…?私はずっと「真由美」として生きてきたのに。
私は悩んだ。悩みに悩んで、ある答えに辿り着いた。
だったら、私は自分で自分の名前に意味を与えよう。
真由美の「真」は「真実」、「由」は「自由」、「美」はもちろん「美しさ」。私はこの名に恥じないよう、この人生をかけて、この三つのものを手に入れよう。それが私の使命、私が生きる意味だ。
そう考えているうちに、あまり好きじゃなかった自分の名前も悪くないと思えるようになっていった。悪くないどころか、すごくいい名前だ。まさに私が本当に手に入れたいものが三つも入っている。
それからは自分の名前が嫌だと思うことは無くなった。

それから30年以上経った。
一昨年、母が亡くなった時のことだ。

部屋の中を整理していた妹が、母が私を出産した時につけていた育児日記を見つけた。
妹は自分のもあったが、何にも書かれてなかった、長女はいいよねとぼやいた。
妹は結婚はしているが、子どもはいない。私は息子が二人いるので、よくわかる。妹に二児の母が如何に忙しいか話してやった。一人目の時は時間に余裕があるが、二人目となると時間がなくて大変なのだと。記入がなかったからと言って、妹のことはどうでも良いと言う意味ではないと。妹もすぐ納得したようだった。

さて、母の残した直筆の育児日記。母も元々まめに日記を書くタイプではなく、どちらかと言えば筆不精だったから、これはかなり貴重な物だ。
ぱらっとめくってみる。
まず、目に飛び込んできたのは、生後5日目の日記だった。
「美由紀、始めてのママのお乳はおいしい?一生懸命のんだので疲れたのね。オヤスミナサイ」
え?美由紀?誰?
一瞬、私の前に赤ちゃんができたけど流産したという話を思い出したが、流産だったから、生まれてはいないし、こんな日記を書くはずもない。
よく見ると前日の日記にはこう書いてある。
「ママは今日まで美由紀ちゃんと呼んでいたけど、パパは真由美ちゃんがいいそうよ?」と。
つまり、母が美由紀と呼んだのは、私…。
日記の7日目。
「美由紀ちゃん、今日は栃木のバーちゃんが貴女の顔を見に来るのよ。いい子でいてね」
まだ母は私を美由紀ちゃんと呼んでいる。
そして12日目。
おそらく市役所に出生届を出したのだろう。
「真由美ちゃん。今日から貴女は真由美と名付けられたのよ。良い子になってね」

クセのある母の文字


これ以降も1歳頃までは記録があった。


母の育児日記を読んで思い出した。
あの日、私に名前を換えてもいいんだよと言ったあの時。
悍ましい事件のニュースで連呼される娘と同じ名前を聞いて、母の胸の中には、本当は自分がつけたかった名前をつけてやれなかったという後悔や残念な気持ちが浮かんでいたのかもしれない。もしも「美由紀」という名前だったら、この子の人生はもっと幸せなものになったのではないか、と。
みゆき、美由紀、美幸。その名は美しい幸せな人生を願う母の気持ち。

子どもの頃は全く理解できなかったあの言葉には、実は母の叶わなかった望み、そして母なりに娘の幸せを願う想いがあったのかもしれないと、いまさらながら思う。

まさかこんな形で、この二つの母の思い出がつながるなんて、思ってもみなかった。母はもういない。あの時、何を考えていたのか、聞く術もない。しかし、もし、まだ健在だったとしても、母自身もう覚えていないかもしれない。

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