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お気に入りのエピソード、スナフキンとティーティーウーの話。
私はムーミン谷の物語が好きなんだけど、特にスナフキンが好き。
ふと、スナフキンとティーティーウーの話を思い出した。
ある日、旅の途中、川べりで焚き火している疲れ切ったスナフキンの前に現れた小さな動物。
その小さな動物は、ずっとスナフキンに憧れていたと純粋に熱く話しかけるんだけど、スナフキンは気分が乗らず、冷たくあしらう。ずっと温めていた曲がなかなか完成せず、イライラしていたのだ。インスピレーションの神様はチャンスを逃すとすぐ何処かへ行ってしまう。だから邪魔されたスナフキンは機嫌が悪い。
「あんまりだれかを崇拝すると、本当の自由はえられないんだぜ」とスナフキン。
小さな動物はそれでも諦めずに話を続ける。スナフキンは、ふと、その動物の名前を聞くんだけど、小さな動物は名前がないから、スナフキンに名前づけて欲しいと言う。スナフキンはこれにも塩対応。
最後は小さな動物もしゅんとして帰ろうとするんだけど、さすがに可哀想に思ったスナフキンが「ティーティーウー」と名をつけてやる。
「きみの名まえのことだけど、ティーティ・ウーっていうのはどうだろう。」
「たのしそうにはじまって、とてもせつなくおわるんだ」とスナフキン。
ティーティーウーは憧れのスナフキンに名付けられ、満足して去っていく。
私にとっては、とても印象深い物語。
どっちの気持ちもわかるんだよね。その時、スナフキンは邪魔されたくなかった。一人になりたいことって、誰にだってある。それを邪魔されたのだから、仕方がない。
一方、憧れの人に出会えたティーティーウーは気持ち昂り、ハイテンション。なんとか憧れの人と仲良くなりたい。なのに、タイミングが悪くって、ちぐはぐで、最悪な状態。
それでも最後は譲歩と妥協で、お互い納得し、満足して終わったのかな…
人と人とも、タイミングなのか、気持ちがすれ違うことって、あるよね。
他人とは結局、本当の意味では分かり合えない。相手の気持ちは見えないし、言葉を使っても、完全に表現することなんてできない。自分自身だって、本当はどうしたいのかわからなくなることがあるのだから。ましてや他人。何を考えてるのか、知る由はないんだよね。
だけど諦めたくない。
わかりたいし、わかってほしい。
なんてね。
ちょうどこの話を思い出した。
(「春のしらべ」『ムーミン谷の仲間たち』収録/講談社刊/山室静訳/畑中麻紀翻訳編集)