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『歩けない』が歩けた理由

メタ認知って言葉がある

自分が考え感じてることを客観的に把握する…まぁ自分を客観的に見るってアレだ

これって結構難易度は高いと聞くけれど、個人的にはそうありたいなと難しいながらも意識してきた部分ではある

が、身体をメタ認知…ってのは正直意識などしたこともなかった

だって痛いモノは痛いし、シンドイものはシンドイんだもの※痛みにはめっぽう弱い…激弱だ

でも、いわゆるメタ認知も私自身に怒りとか憤りとかいう強い感情がガッと出ると、一瞬吹っ飛びその感情に振り回されるのだから

やはりアタマも身体も不快なモノにはひとたまりもないのだと実感しているところである

まぁ、それと同時にこういう不快なことってのは格好の気付きの場だと思うのだ

今回もそんなことがあった

初心者向けの熊野古道6kmちょいのルート
歩き始めて1kmにも満たない時点で既に膝が痛い

ヤバい…今日はもう歩けねぇ…詰んだな…

戻るも1km、進むも5kmちょい
体力がないのに来てしまったことを
心から悔やんだ瞬間だった

が、しかし
人って追い詰められてると思う瞬間に珠玉の気づきに出逢わせてくれるモノらしく

同行してくださった方からの本当に温かく深い話で視点が180度変わった瞬間と出逢った

『自分一人で責任持ってやり切れ』という一般には常識だが、実はそんな謎の刷り込みが無意識に駆動しているけど、自分の力なんてナンボのもんさ?と

自分にないモノはお借りすればいいじゃないかと…自分一人でやるってエゴだわ…と

自分は自分のどの部分をどの視点から見て何を感じているのか 

自分の身体をメタ認知できた時に

この日初めて自分の身体に体力がない不安だという思い込みで、自身の身体のポテンシャルを侮っていたことに改めて気づき謝り心から感謝できた時…泣けてきた

大いなる自然のあらゆるモノと繋がれる世界で頂けるエネルギーや、そこから見える世界への気づきは私の身体を気持ちよく最後まで歩かせてくれた

『そうやってね気持ちよく歩く姿がね、後ろに歩く人を心地よく歩ませるリーダーシップっていうんだよ』そう同行してくれた人は教えてくれた

そして…実は苦手だった自然だったが、この日初めて自然が本当に優しく、凛として強く大きく、温かくしなやかだと心から感じ、キラキラ輝いてなんて美しい世界だろうと眺めることができた

自分一人でやろうってのも大切だと思うけど、それでは出来ないこと、自分では無理だなと思ったことが大いなる力を感じて実際にで可能にできてしまった体験は

今後の人生を大きい影響を及ぼす一つの分岐点になったなと感じた

心から感謝しても感謝しきれないギフトをもらった出来事だった

また行きたいモノだ…こんなこと自分から思ったことも初めてかもしれないしねぇ…不思議なもんだわ

あなかしこ〜あなかしこ〜



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