自分の持ってるモノに気づいてる?
自分を認めて欲しい、承認して欲しい!
認めてもらえて、必要とされたら、自分を褒めて認めてあげられるもの…そしたら自己肯定感も上がるに違いない!
なんて話は実はキリがない話のような気がするのだ
自分で自分を認める為に他人様にどれほど認められても、認められることを望んでも、承認欲求なんて際限なく湧き上がるだろう
そんな承認欲求の充足など一瞬の幻
もっともっと!これでは足りない!ってなる
でもそんなコトは、誰でもやりがちなんだろう
そもそもそれで十分に承認欲求を満たせることなどあるのだろうか?
過去に私も褒められて喜んでみたい!と思ったこともあったのだが
個人的には承認欲求が著しく低いツクリをしてるので、褒められてもなんのモチベーションにもならないというオチだった(⌒-⌒; )
こんな私の様なタイプは多数派ではないので、相手を承認欲求を満たすことをすれば、ある程度その時は満足はするだろうけれど…多分
承認欲求の満たし合いなんて、下手したらお互いの自己満足の世界でキリがない話だろうな…知らんけど
でもさ…人様に認められる前に、自分で自分を認められないとねぇ…他人様に認められても『私なんて…とか言って今度は受け取れない
前は自己肯定感が上がるということは、なんらかの高揚感が伴い持続するのか?なんて考えたこともあったが…そんなの不自然じゃね?
そんなの持続時間は長くないだろう
自己肯定感なんて他人様にあげてもらうもんじゃない
自分の存在を誰でもない自分自身で良いも悪いもなく、あるがまま丸ごと無条件に認められたら、別に他人様に認められなくても、何があったとしても、自己肯定感は自然に安定するもんだと
最近やっと思う様になった…多少は進歩したのかもしれんね
それにしても、こうすればきっと…と頭で仮定しても、自分の中にあるものに気づかず自分が持ってないもばかり欲しがったり
逆に色んな情報も自分の中に実感のないものは相手の中には届かないもの
あるモノに気がつくのが一番だ
そして…相手に自分にないもに気づかせ外向きの矢印に対して充足させることより、自分の中にあるモノに触れてもらうコトから始まる、その人の可能性を私は考えてきたのだと、改めて気がついた
あなかしこ〜あなかしこ〜