天国への近道
「永遠の命とは、唯一のまことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」ヨハネの福音書17章3
【不信仰なガリラヤの町々を責める】
20 それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
21 「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
22 しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
23 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。
24 しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
【父なる神への賛美《さんび》】
25 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
26 父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
27 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
【わたしのところに来て休みなさい】
28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
マタイ11:20-30 (ルカ10:13-22)
28の「 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」とよく聞きますが、これで終わってしまっているのがほとんどです。
29の「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」が最も重要で、イエス様から学ぶことによって、真理がわかるようになり、信仰が増し加わり、魂が安らぐのです。
当時の律法学者は民に重荷(先祖からの言い伝え(口伝律法))を背負わせ、自分たちは指一本も触れないとイエス様が叱責しました。
イエス様の荷は軽いのでくびきは負いやすいのです。
ただ来るだけでは、道ばた、岩地、いばらに落ちた種のようになってしまいますから、しっかり学んだほうが良いのです。
記事を見てくれてありがとうございます。少しずつですが、聖書の神を投稿していきたいと思っています。今後とも長いお付き合いになるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
※記事に使用している聖句は、日本聖書協会発行の口語訳聖書。
新約1954年版、旧約1955年版は2005年に著作権保護期間が終了している。
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