ヨハネの黙示録
この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。
口語訳 ヨハネの黙示録1章3
【白い衣を着た大群衆】
・諸国からの大群衆
9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、
10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と/小羊からきたる」。
・御使たちの礼拝
11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、
12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。
・大患難時代の殉教者
13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。
14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
・殉教者が受ける祝福
15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。
ヨハネの黙示録9:9-17
つづく
7章は挿入句で物語の進展がなく、大患難時代の最初の三年半に起こることの状況説明である。
ここでの場面は天である。大患難時代における天での情景の幻である。
白い衣は、信仰によって義とされ救われていることの象徴。
しゅろの枝を手に持っているのは、勝利者となったことの象徴。
大きな患難とは、大患難時代のこと。
小羊の血で洗って白くしたとは、霊的純潔を示す比ゆ的言葉。
【殉教者が受ける7つの祝福】
(1)距離の祝福 「神の御座の前」かつては反キリストの前に立たされていた。
(2)奉仕の祝福 「聖所で昼も夜も神に仕えている」天に夜と昼があるという意味ではなく、永続した奉仕が与えられる。天は休息の場所であると同時に、奉仕の場所でもある。
(3)交わりの祝福 「御座におられる方は、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれる」幕屋を張るとは、彼らの内に宿るということ。
(4)必要の満たしの祝福 「彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない」大患難時代には飢えを渇きに襲われていたが、その苦しみがなくなる。
(5)安全の祝福 「太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。」神の臨在が彼らをおおう。イザヤ49:10、詩篇121:5-6が背景にある。
(6)導きの祝福 「御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。」詩篇23篇、ヨハネ10章が背景にある。
(7)喜びの祝福 「また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」大患難時代に流した涙は、神によってぬぐい取られる。
大患難時代には、144,000人のユダヤ人による世界宣教によって、大リバイバルが起こり世界中の数えきれない人々がイエス・キリストを信じで救われます。その人々にも神からの祝福が約束されています。
しかし、それは殉教の死を遂げることになります。信仰が守られ殉教できる人は良いですが、殉教の恐れから信仰を手離す人もいるでしょう。私は、殉教するのが怖いです。大患難時代に信仰が守れるか自信がありません。それだからこそ、携挙に希望があります。
今は恵みの時代、主イエス・キリストを信じで携挙されてください。大患難時代に地上にいないでください。
次回は、第7の封印です。
記事を見てくださりありがとうございます。聖書の中で唯一、祝福が約束されているヨハネの黙示録を投稿していきたいと思っています。今後とも長いお付き合いになるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。