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あれから10年。被災地の今を巡る旅

昨年親の介護で宮城に戻ってきたのだけれど、今震災から10年目を前にして、連日震災に関するドラマや特番、新聞でもたくさんの特集やストーリーを目にする。先週末に「ペペロンチーノ」という草彅剛出演のドラマもみて、涙が流れてきた。ドラマ3本ほど見て追体験する中で色々なことを考える。

2011年の3月11日は東京にいた。地震発生当時は、ある国際鍵の終了後で、事後の出版物の納期が迫り、インドと国際電話をしている時だった。

いきなり大きな揺れを感じ、相手の方はインドだったので、こちらの状況が分からなかったらしい。どうしました!?といって、中断せざるを得ない状況だった。すごく古い建物だったので、すごく揺れた記憶がある。

その直後に見たニュースで、故郷の宮城の中でも、仙台より南にある名取川と海のエリアからの信じられない映像だった。その後も、三陸エリアを初めてと馴染みのある名前を知っているエリアの映像が飛び込んできた。

名取、昔よく行った仙台市若林区の荒浜エリア、親戚がいる山元町や亘理方面、見慣れた仙台空港の風景など、津波や濁流にのみ込まれている映像を見て、血の気を引いた。状況が分からないまま、両親や友達、知人に連絡が取れるまでは生きている心地がしなかった。

幸い実家は山側のエリアだったので、ライフラインがしばらく止まり、周辺の古い家が壊れるような被害で、津波は来なかった。

その後、縁があり、アジアと東北をつなぐ防災教育の仕事に就くことになるが、被災に仕事で足を運ぶことになった。

しかし、当事者の人の悲しみや苦しみは計り知れない。結局当時そこにいない自分は外側にいて、この10年の復興も目の当たりにはしていないのだ。宮城出身という話をすると、大丈夫でしたか?と聞かれるのですが、何と答えていいのか、言葉に詰まることがある。

東北、宮城、被災地。ひとまとめにしたイメージではなく、本当に1人1人がその時をどう生きていたかストーリーがある気がする。

しかし、今何の因果か、宮城にいる。

今宮城にいる自分に何ができるか?

考えた結果…10年目の被災地を巡る旅をしてみようと思った。

スタエフ(音声配信)でそのことについてちょっとつぶやいてみた。

また、TABICAのオンライン体験の主催者仲間で、被害が大きかった東松島在住の耕平さんのオンライン体験にも参加して、被災地の今を知ろうと思った。

今自分に何が出来るか考えてみたときに、3月はコロナ対策もしながらも、可能な限り、震災支援で関わった地域、昔からなじみのあった場所や当時親戚が住んでいた地域を巡る旅をしてみようと思った。

私自身は、宮城にいても、当時のことは語れない。10年たった今、そして、日常に戻りつつある中で、ちょっとだけ「外側」の視点から、そこの土地にある素敵な風景や、グルメ、そして、大好きなカフェという心地よい空間を取り上げて、地域活性化を応援できたらと考えている。

「被災地」の今を肌で感じ、外にいる人にも興味も持ってもらったり、長続きする地域活性化の支援=楽しいと感じて訪れてもらったり、名産品を買ってもらったり・・・そんな橋渡しができたらなと。

▼少しずつTwitterでもつぶやいてみるので、よろしければ!

第1弾は最近よく行く名取市の閖上地区。震災後に「北限のしらす」が有名になっていたのは、実は昨年まで知らなかった。

そのそばには日和山。実はアニメ映画の「君の名は。」当時ここまで津波が来たのかという衝撃。更地の風景を見ると切なくなる。風の音が物悲しく聞こえる。


そして、3月11日、震災から10年目当日の夜は、TABICAでZoomでやっているオンラインスナック特別バージョンで、皆さんとお酒でも飲みながら10年を振り返れたらと思っています。

もちろん、こんな日だから大切な人と一緒に過ごすことも大事だし、こんな日だからこそ、思うことを口に出して語ってみるのもありかもしれない。

それぞれの人が、それぞれの場所で過ごした10年。

今、何を感じ、思うのか、ゆるりと飲みながら語りませんか?

被災地にいても、どこにても・・・それぞれが色々なことを考えたあの日。

あの日どこにいて何をしたか、何を感じたか、人それぞれのストーリーがある。

これからの未来のこと、他愛もない雑談ができる幸せを感じながら・・・

10年前や今の自分自身みんなで寄り添う時間にできたら・・・

【3.11限定】10年を振り返りながらゆるりと語るオンラインスナック
https://tabica.jp/travels/21122

3月11日(木)21:00~


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