文學界も群像も出さなかった話
文學界、出せませんでした。群像、出せませんでした。
出そうとはしてました。なんとか、初稿は書きました。
でも、だめでした。
書いても書いても、超えられないのです。
受賞作を、じゃありません。
自分が、春の文学賞に出し、一次も通過しなかった作品を超えられないのです。
春の文学賞に出した作品は、「これでデビューできないんだったら私はなにを書いてもデビューできない」と思った作品でした。
何度かここでも触れていますが、大切な人に死なれた経験を真正面から書いたものでした。私の中で、小説に書くしかもう昇華するすべがない、小説を書く理由そのものの、作品でした。
その作品を書き上げるまでに3年かかりました。
書いては、筆が止まり、自分事すぎると距離を離してみたり、きれいごとに書きすぎていると飛び込んでみたり。
その間に会社を辞めました。ライターになりました。
でもそんなことはもちろん、小説の質には関係なく、
努力したからといって、
何かを犠牲にしたからといって、
小説を書く理由が切実だからといって、
小説の神様がほほ笑んでくれるわけではありません。
というか、
小説の神様なんていなくて、ただ、うまい小説とうまくない小説があるだけなのでしょう。
わかっています。
でも、私の中で、あの作品は、
私が今書ける、最大のテーマの最高の仕上がりの小説だった。
それが一次も通らなかったのです。
その時に、もっとちゃんと落ち込めばよかったのかもしれない。
落ち込んではいたけれど、受け止めるのが怖くて。
だって受け止めてしまったら、私はもう「小説家になれない」ことになる。
だから応募総数が、とか、作風が、とか言って自分を慰めてしまった。それがよくなかったのかもしれないです。
文學界と群像には、あの作品ではない他の作品を書かないといけない。
でも、何を思いついても、書き出してみても、
やっぱりあの熱量を超えられない。
じゃあ、あのテーマはあのテーマのままで、今度は完全にフィクションで、と書き出してみたら書き出してみたで、
やっぱり完成度があの作品とは全然ちがう。
書いているそばから、「これじゃない」「これじゃダメ」ってことがわかってしまう。
そうこうしているうちに、締め切りは過ぎていきました。
途中で、純文学の賞に出すのはもうムリだ、と思いました。
少なくとも今はまだ、あの作品に囚われ過ぎていて、ムリだと思いました。純文学を憎みさえしました。なぜあの作品じゃダメなんだ、そこが自分にはどうしてもわかりませんでした。
結局私は、すごく傷ついていたのです。
自分の書く力に絶望していたのです。
あの小説が認められなかったことに、すごく怒っていたのです。
半年も経ったけど、半年ではどうにもならないほど、傷ついていたのです。
回復していなかったんです。
死なれた人と、約束をしてました。
小説を書くことを。小説を書く人になることを。
ごめん、全然できてないよ
書いてあげたかったのに、うまく書けなかったみたい
ちゃんと書けたと思ったのに、あれじゃダメみたい
河原でべそべそと泣きました。久しぶりにその人のことで泣きました。
私はいつ回復するのでしょう。
今日は群像の締め切り日で、出さないと決めたものの、未練たらしくあの作品を読み返していました。
やっぱり自分にはもう改稿のしどころはないような気がして、
この作品を捨てて、新しく書くしか方法はないんだと思いました。
今はまだ、引きずっているけど、
いつかまた、違う形で、あなたのことを書き残すからね。
そのためにもっと、うまくなるから。
そのために書く立場になるルートを探してくるから。
べそべそ泣いてる私に、もう一人の大人の私がちゃんとやってくれました。
全然別の小説を、林芙美子文学賞とR18文学賞に出しました。
私、書くね。