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未来への希望が見いだせないとき

ちょっと意味深なタイトルですが...


いや、なんかね

「わたしたちは、未来に対して
 ちゃんと希望を投げかけているだろうか?」

って最近思うんですよね。


もうちょっと言うと

「未来に対して受け身すぎやしないかい?」

という感じ。

少し前にどこかの動画でも
お話ししたのだけど

もしかしたらね
今の社会のなかには
ある種のリセット願望というか


・もうやり直さないとダメなんじゃないか
・このままいくとダメじゃないか


みたいな集合的無意識が
あるんじゃないのかなぁ
と感じているところがあって


そういう集合的無意識が
過激な予言というものを求めたり


外に激しさを求めてしまったり
があるのかもしれない
と私は感じているんです。


で、おそらく
そこを掘り下げていくと

一人ひとりが希望をもてないってことが
一つの要因としてあることかもしれないよね。

もはや希望を持つだけの
気力がないって噂もあるし。

じつは希望を持つって、
かなり能動的な作業だったりするから。

だけど、このポジションこそが
見えない世界を扱う私たち占い師が
できることじゃないかなって気もしているんですよね。

ということで、今日は「希望」について
私が感じていることを書こうと思います。


たくさんの情報が開示されている意味


昔に比べると私たちは
日々世の中に起こっていることを
たくさん知ることができるようになりました。

それこそ
昔だと新聞やテレビでしか
情報を得ることができなかったけれど

今はネットで調べれば
大体のことは情報が得られるし

たくさんのものを
開示されている時代だと思うんですよね。

その一方で、
人のことも社会のことも
情報がたくさん得られるがゆえに


混乱を巻き起こすとか、
不安を掻き立てるという風に
言われることもある。


現実的にみていくとね

行く末が見えてくるとか
このままジリ貧になっていくんじゃないかとか
そんな風に思えてくる人もいるわけです。


そうやって人は希望を
見れなくなっていくのかもしれないしね。


だけどさ、
すこし視点を変えると
それだけ情報が開示されているということは


もしかしたらそれぐらいの情報を
私たちは扱う意識の高さまで成長してるんだよ
っていう見方もできる。


占い師的に言うと

悪い予言とか予測とか
政治の問題も社会の問題も

全部を知ることで
それにちゃんと対応できる

それを含んで未来に持っていける能力を
ちゃんと持っているから
宇宙は(もしくは神様は)開示してくれている

っていう風にも
考えることもできるよね。

今までの意識レベルで見ると
すごく絶望的に思えることだったり
先が行き止まりになっているように見えても


私たちの意識や能力は
もうちゃんと追いついている
という視点でみていくと


そこには絶望ではなく
別の希望が見えるかもしれないよね。

これは、何も
捉え方を変えて希望を見ようって
ことなのではなくて


すでに私たちに備わっている
スピリチュアリティの力を
ちゃんと信じてみようってことなのかな。

スピリチュアリティとは


もし希望が見えない
希望なんて何もないって
思ってしまうのだとしたら


そこで、現実主義とか唯物論的な方に
偏っているんじゃないかを疑ってみてほしい
と思うんですよね。

きっと今までの「地の時代」は
それでも希望を十二分に
抱くことができたんだと思うんです。


だけれども
これからの「風の時代」においては


従来の「地の時代」的な考え方

たとえば、時間とかに固執したり
過去の実績がものを言うという基準で考えると


希望が見えないし、
希望を抱くことが難しくなってきている。


現実的にものをみることも
もちろん大事なのだけれど

それだけじゃ
もう難しくって

現実的なものの対極にある

「見えないもの」
「スピリチュアリティ」

も統合していくってことが
必要になってきている時代だと思うんです。


ちなみに、ここで言う
「スピリチュアリティ」というのは

単に見えないものを信じましょう
というのを言いたいのではなく

私たちが人間としてすでに持っている
「感性」と言った方がいいかもしれない。


身近な例でいうと、
たとえば、身内や家族が亡くなったときに
私たちはちゃんと供養しようとするじゃないですか。


どこかに放置しておくとか
供養しなくてもいいじゃんとか
そういう発想や思考にはならずに

ちゃんと亡くなった魂が
成仏できるように弔おうとする。

そういう感性を持っているんですよね。

特に日本人はその感性が
他の国よりも高い傾向にあると思うんです。


以前、鏡リュウジ先生のお話しのなかで
イギリスの占星術家マギーハイドさんが
日本にきて一番ビックリされていたのは

スーツをきたサラリーマンが
普通に神社にお参りにいくこと
だったそうなんです。

これって私たちにとっては
日常だし、普通にすることだと思うんです。

多くの人が
信仰する宗教があってもなくても
神社にお参りにいくってことをする。

つまりですね
「スピリチュアリティ」とは
こんな風にすでに私たちに備わっている
一種の感性のことで

私たち自身が
そういったスピリチュアルな存在であることを
ちゃんと自覚するってことが
これからの希望に繋がっていると思うんです。


自分の存在を
自分がいまここに存在する意味を
ちゃんと信じる

というかね。

そこから希望が見えてくるわけで。

占い師やカウンセラーとかは
ここを前提に人と関わっていく
そういう人のことだと思うんです。

希望のもち方


さて、
ここまで書いてきたことを
大前提として

じゃあ、現実的にどうやって
希望を持っていくといいのか
についてここから書いていきます。


先に結論をいうと
希望をもつためには

「ちゃんと諦めること」

ものすごく矛盾しているようだけど
自分のなかで納得しないと
人ってその先の希望を見いだせないんですよね。


多くの人は

「もう諦めた」と言いながら

本当の心のうちでは諦めきれずに
そこで立ち止まっているんじゃないかと思うんです。


そこで私はあえて

「本当に諦めたの?」

と問いたい。


なぜなら
ちゃんと諦めることができたら
そこから希望が生まれるはずだから。


諦めの先に希望があるってことを
多くの人は知らないのかもしれない
って私は感じているんです。


私の例でいうと

もともと
小さい頃から音楽をやっていて
ピアニストになることを
本気で目指していたんです。

コンペとかコンテストにも
何回も出たりしてね。


だけど、めっちゃ本気になって
何度も何度も挑戦して結果が出た時に
もう自分の中で納得するんですよ。

「あぁここまでやったけど無理やった」


という風にちゃんと諦めることができた。


そこまできて、ようやく
じゃあ次どうやって音楽を仕事にしようかって
気持ちが出てくるんです。

どうやったら音楽で食べていけるかなって
その先の新たな希望を見出そうとする。


音楽家としてはダメだったけど
もしかしたらゲーム音楽家なら
ギリいけるかもしれないって思って
新たな夢や希望を持つわけです。

それでやってみたら
ゲーム音楽家としては
そこそこ行けたって感じなんですね。


でも、それはちゃんと諦めた先にあったもの。


だから、ちゃんと諦められることは
すごく希望に繋がってる
って私は思っているんです。


これは私が占いの現場で
たくさんの相談者さんと向き合ってきた中でも
ものすごく実感したことでした。

どれだけ不合理な恋愛であっても
未練があったり
ちゃんと諦めていないと
次になんていけないんですよ。


客観的にみて、
どれだけ可能性の低い恋愛であっても


本人がまだ諦めないって
もうちょっとがんばるって
まだ納得していないっていうなら


占い師としては
できるだけダメージの少ない方法で
その人がちゃんと諦めがつくまで
見守ってあげることが必要だったりする。


そして、もう十分にやり切ったら
自然とみんな勝手に
未来に向かって歩いていこうとするんです。


私もよく祖父母に聞かれていたな・・

「真由子は、得心されたか」って。

これが本質じゃないかなって思うんです。


だからね
やっぱり今希望が見いだせないって
もし思う人がいたら

目の前にあることを
「とことんやってみてるだろうか?」
を自問自答してみるってことが
近道なんじゃないかなと思います。


とことんまでやってみたら

「あ、もういいや」ってときがくるから。

満月のタイミングあたりにシレっとね。

そうすると不思議なことに
次の希望が見えてくる。

だって、私たちはそういう存在だから。


とことんまでやれないのは
自分の存在を信じきれてない
というのが根底にあるんじゃないかな。

自分の存在をちゃんと信頼する
その感性を取り戻して
未来に希望をオファーしてみる。


そしたら
未来からの川の流れが
その希望をのせて
現実として目の前にくるから。

占いや占い師は、そういった希望を
先陣切って投げかける存在でありたいよね。


お読みいただきありがとうございましたー!

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