人を癒すこととパラドックス
占い師とかセラピストとか
人を癒すことに
携わっている人は
多かれ少なかれ
いろんなパラドックスを抱えている
と思います。
ここでいうパラドックスとは
「ジレンマ」
「矛盾」
「意図に反した結果」
「理論と現実のギャップ」
みたいなものでしょうか。
このパラドックスを
意識しているかどうかで
セラピストとしての
容量というか強度みたいなものが
変わるんじゃないかなぁと私は思っています。
今日はそのあたりの
お話を書いていきます。
●癒しの場のパラドックス
例えば、私たち占い師というのは
占いの結果をもとに
「こうしたほうがいい」「こうあるべき」
という提案をどうしてもしてしまうし、求められます。
また、セラピストとして
ココロの不調も何とか治してあげたいと思うので
なんらかのアドバイスをします。
これは勿論、絶対的ではないのですが、
悩んでいる方にとっては
それが唯一の方法のように
映ってしまうんですね。
だって、自分で答えが出ないから
占い師やセラピストになにかを求めるのですものね。
プロはそのあたりの
お気持ちを汲み取りながら、
あーだこーだと言うわけです。
このくみ取り方はセラピストさんや
占い師さんの感性によって違ったりします。
一方で
私の場合、根本的には
クライアントさんと向きあうときは
「こうしてもいいし、しなくてもいい」と思っています。
多くのセラピストさんがそうかも知れませんね。
もっと突き詰めると、
「悩んでもいいし、悩まなくてもいい」
って感じでしょうか?
(なぜそういうことにしているか?
…ということは後に書くとして)
でも、現実は
目の前の人が困っている、哀しい気持ちである、
傷ついている…。わけです。
そこで、先程の
「悩んでもいいし、悩まなくてもいい」
「傷ついてもいいし、傷つかなくてもいい」
「ああやってもいいし、しなくてもいい」
に立ち返ると…
そう。
「放置してもいいやん、放っておいたらいいやん。」
と言っちゃっても良い訳です。
だって悩んでいてもOKなワケですから。
ん?????
これが私のいうパラドックスです。
たとえば
もしクライアントであるあなたが
自暴自棄になっていて、
「うわーもうどうなってもいい~!」ってなってしまい、
私の目の前で
万引きとかしようとしちゃったりする…
そんな場面で、果たして私は、
「盗んでもいいし、盗まなくてもいい、好きにしたら?」
と余裕ぶっこいていられるでしょうか?
否!
「なにやってんねーん!!!!」
って、めっちゃ突っ込むし、怒るでしょう。
場合により放置するときもあるけど…
そして、なぜあなたが
万引きなんてしようと思ったのか、
理解しようとするでしょう。
それを理解して、共感できれば、
・あなたは何が欲しいのか?
・どこが痛むのか?
…がきっと解ると思うからです
その方の感情に寄り添う時、その為に必要なのが、
「盗んでもいいし、盗まなくてもいい」という概念なんですね。
つまりプラスマイナス・ゼロの所に
自分の価値観を置くように心がけるわけですね。
これ、プロならやってると思います。
じゃあ、一方、
悩んでいるクライアントさんを目の前に
私はプラスマイナス・ゼロ=白紙
になれるかどうか?
ここにも、またパラドックスがあります。
だって、私だって色々な価値観を持っているし、主観もあるし、
真っ白なキャンバスになろうとしても、
「私やったら、水色でパーーっと描くのに…。」
とか思うでしょうね。
じゃあ、他人のことを理解できないか?
というと必ずしもそうでもない。
その人がすごく悩んでいて何色で、
描きたいのかわからなくなっていても
決して
「何悩んでるのよ!水色がいいって決まってんじゃん!」とはいわず、
「あなたにはピンク色で書きたいのかもねー」
ってところまで答えを
引き出してあげることが出来るしね。
プラスマイナス・ゼロが
求められるにしても
私の主観があるからこそ
目の前のクライアントさんの
主観ってのを尊重したり
あなたのはこういうのじゃない?を
より鮮やかに
導きだせたりすることもあります。
●癒す側の容量の大きさは・・・
何が言いたいかというと・・・
セラピストの容量の大きさや実力って
こんな矛盾やパラドックスを
どれだけ抱えておけるか
にあるんじゃないか、ということ。
だってさ、
世の中矛盾だらけじゃない?
人間も矛盾だらけ
心の中で思った通りに
合理的に行動するわけではないしさ
「なんでもやっていいで~ ありやで~」といいつつ
「それはあかーん!」ていう。
そういう人間らしさに
私たちは救われたり癒されたり
する側面があるんじゃないかと。
ときには
セオリーに基づいて
導き出したものが間違っていても
それが人に良い影響を及ぼすことだって
十二分にあったりするんですよね。
私の講座の
生徒さんから聞いた話でね
とある相談者さんが
東洋の占いを受けに行ったら
「これから10年は
すごい良い運気が巡ってくるよ」
って言われたらしいんですね。
実は、その相談者さんは
ちょうど癌(がん)を患っていて
もう人生のどん底にいたわけです。
だけど、その占いで
「良い時期が巡っているよ
癌なんか絶対治るよ」って言われて
それが原因かどうかは分からないけど
本当に治っちゃった。
それで後日
その占い師さんにお礼にいったら
当初の占いの結果が
間違っていたことが分かったんです。
正しい見方でみると
良い運気ではなくて
めちゃくちゃ悪い運気だった、という話。
今となってはわかんないんですよね
わざとついた嘘なのか、間違ったのか。
わかんないんだけど・・・
多分そういった矛盾って
世の中にあふれているわけですよ。
もしかしたら
私たちが思ってる以上に
セオリーを超えたものを
セラピストや占い師は
もっと抱え込まなきゃいけない
ってことなのかもしれない。
その場に起こるいろんなことを
引き受けるっていう
度量の深さみたいなもの
”矛盾”として片付けずに
そのまま矛盾として
引き受けるってことがすごく大事で
それが、その人の在り方として
目の前の人の癒しを起こすってことに
直に繋がっていくんじゃないかな、
と私は思っています。
●正解がない中で見つけるべきもの
だから結局
この世で、何が正解かなんて
本当に誰にも分からないんだけども
”正解”とか”間違っている”とか
ノウハウとかを超えたところで
癒しが起こるってことでもある。
じゃあ、そんななかで
セラピストとして
占い師としてできることは
どれだけ矛盾があったとしても
どれだけパラドックスがあったとしても
その人が持っている
真実っていうのを映し出してあげる
ってことじゃないかな、とも思うんですよね。
占いやセラピーで引き出す
結果や答えやメッセージは、
その人自身が元々持っているものが
表面化しただけのものなので、
本当はね
みんな自分のなかに必ず答えがあるんです。
だから、セラピストとか占い師は
表にある色んな矛盾とかを
白黒はっきりさせることじゃなくて
一旦、白紙のキャンパスにした上で
ほしいものって
たぶんこれかもしれないねを
ちゃんと映し出してあげるってこと。
その過程で
セラピスト自身やクライアントさんを
とりまくあらゆる矛盾やパラドックスを
どれだけ抱え込めているか
ってことがすごく重要なのだと思う。
つまりは、
占い師とかセラピストの
ノウハウを超えたところの在り方
ビーイングがすごく大事だよねって話でした。
いろんな矛盾やパラドックスを抱えて
目の前の人の真実を見出せる
人間クサーイ占い師でありたいですよね。
ということで
なんだか、まとまったような
まとまっていないような・・気がしますが
最後までお読みいただきありがとうございました!
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