つくりながら、じっと待つ
2020年1月から病気の治療優先のためIKERUの活動を休止しました。
その後コロナのことがあり、登壇できない旨をお伝えしていた2-3月のIKERUのワークショップや講演も全てキャンセルとなりました。月7-8回程度やっていた自宅でのレッスンもキャンセルしていたと思います。もし身体が元気でそのままぶいぶい活動していたとしても、活動休止と実質同じ状態になっていた、ということです。
ぶいぶいしていた時に休め!となっていたら「コロナで活動をしたくでもできない...」とざわざわしたり「この機会だからこその何かをやらないと!」と焦ったりしていたでしょうが、もともと休んでいたので、そういうざわざわも焦りもあまりなく、淡々とただ休んでいました。
それに加えて、非常に稀な治療薬の重篤な副作用で倒れたり、それを機に薬が使えなくなったので手術で全摘したり、と、4月から今までの日々の半分は入院しており、これ以上休止できないぐらいのガチな休止状態に。
外も中も「休みましょう」。ガチで休んでいるうちに、もっといっぱい活動している日常に対する一時的な休み、ということではなく、この状態を日常にしていけばいいのでは、と思うようになってきました。
そんな中で、今自分の中で形になりつつある感覚があります。
それは、「つくりながら、じっと待つ」です。
こうした感覚に至ったきっかけの一つとして、思い出話から...
頭だけで焦っていた2011年
2011年3月、東日本大震災の時のことです。
「被災した方々・地域のために何かしなければ!」と私は焦っていました。ボランティアのために寝袋を持ってさっそうと被災地に入っていく人たちを見ると、さらにその焦りはつのりました。
でも、そうした活動をそれまでしたこともなく、山歩きやキャンプすら無理な完全インドア派の私には、あまりにもハードルが高いような気がして、結局何もできずじまい。自分を責める気持ちをもったまま立ちすくんでいました。何か東京でできることはないかと、チャリティイベント開催を手伝ったり、寄付をしたりはしても、焦りも自己嫌悪も消えませんでした。
その気持ちを常にどこかに抱えたまま約1年半が経った2012年夏。「東北でいろいろ新しい面白いことが起きている。インタビューをして文章にできないか」といった依頼が来ました。当時ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で働いており、インタビューをしてそれをもとにHBSの教材としての物語を書くという仕事をやっていました。
小さい頃から自作の物語や詩を書いていたこともあり「物語を書く」ということが好きでした。また仕事を通じて「聞く」ほうがもっと好きかも、と気づいていました。その合わせ技、「聞いて物語を書く」のであれば、そのままの私で東北とつながれるのでは、と思い、そのお話を受けて初めて震災後の東北に入りました。
そこで書いた物語、できたご縁が新しいご縁につながり、私は週末を使っては東北に行くようになりました。そして、たまたま同時期にHBSでも学生が東北で学ぶ体験型授業が始まってその授業の設計担当となったこともあり、東北とのご縁がさらに深まっていきました。その軌跡を本にする幸運にも恵まれ、震災からもうすぐ10年、今でも時々ご一緒する機会をいただいています。
「何かしなければ!」という思ってもどうしても動けなかった。動けなくてそんな自分にじりじりして、でもやっぱり動けなくて。震災後1年半経った時に、自分のそれまでの経験が自然に生きるようなご縁がふとやってきた。自分に合っているから無理をしない、だから今に至るまでご縁が続いているのではないかと思っています。
何かあった時身体が動かなければそのまま待ってみる。そうしたら自ずとやってくるものがある、ということを自分の経験から学びました。本当は動けないのに無理して頭が「何かしなければ!」と言い聞かせて無理やり動いたら、自分のところにやってくるものに出合う前に疲れてしまうかもしれないし、やってきたものに気づかないかもしれない。
でも、今だからこそ「すぐに動けなくてよかった」とか言えているものの、あの時の焦りや何も動けない自分を責める気持ちは、まだ心のどこかに黒く暗く染み付いています。また、たまたま知人がお声をかけてくださったところからすべてが始まった、ということで、そのお声がけがなければ、結局何をすることもなく、今もなお、どこか悶々としたままだったと思います。
あの時はセルフ・コンパッションがなかった
「コンパッション(compassion)」は日本語で「思いやり」「慈悲」などと訳されます。人生を通じてコンパッションを実践してこられた文化人類学者・禅僧・社会活動家であるジョアン・ハリファックス博士の著作の日本語訳の本によると「コンパッションとは、人が生まれつき持つ『自分や相手を深く理解し、役に立ちたい』という純粋な思い。自分自身や相手と『共にいる』力のこと」とあります。
2011年当時の私には、この「自分と共にいる」のところが抜けていました。被災した方々の10兆分の一未満であっても、その様子に胸が痛くなったり未来が不安になったり、自分も傷ついてた。それを理解し受け止めてあげるところから始める必要がありました。そこがぽっかりとないまま「何かしなければ!」と思っても、自分と共にいないので空回りするし、本当に意味で相手の不安や苦しみにもつながれない、だから動けなかったのかな、と。
日本のビジネス界にマインドフルネスを導入されてきた第一人者の荻野淳也さんが3月から毎朝オンラインでマインドフルネス瞑想をガイドしてくださっています。そこでのコンパッションを育む瞑想でも、まずは「セルフ・コンパッション」、自分の健康、幸せ、平和への祈りから始まる、と学びました。セルフ・コンパッションが土台となり、自分の大切な人たち、さらには世界中の生きとし生けるものへのコンパッションへ広がり深まっていく。
「何かしなければ!」と焦っても、どうしていいかわからず動けない時は、まずはゆっくり呼吸する。そのうちに心も静まり、湖の水面が静かになると湖の底が見えるように、自分の心がどうなっているかが見えてくる。そこにある不安や焦りを、「不安なんだな、焦ってるんだな」と受け止める。そうすると相手へのコンパッションも自然に湧いてくる、そして自ずと身体が動く、ということなのかな、と思います。
でもあの頃は、コンパッションやマインドフルネスという概念もそれを育む方法も知らなかったし、自分のあり方すらまだよくわかっていなかったので、仕方がなかった。焦りも自己嫌悪も未熟な私に必要な学びでした。
なお、このあたりはまだまだ初心者で、毎朝の瞑想でも、(心の水面が静かになったようなならないような...んー、そもそも自分の心ってなんだっけ???)と、相手へのコンパッションどころか自分とつながるところでつまづいています。あと10年ぐらい続けるともう少し自分の感覚として語れるようになるかと...
とりあえず手を動かしてなんかつくる
それから、もう一つ、あの頃の自分がわかっていなかったしやっていなかったことがあります。それが「手を動かしてなんかつくる」こと。
なんか、は、なんでもいい。絵でも陶芸でも俳句でも畑でも。塗り絵でもレゴでもクッキーでも粘土でも。仕事だから、とか、誰かのため、とかではなく、ただ自分が「それ、ちょっとつくりたいかも」と思ったもの。
無目的につくることの尊さを教えてくれたのは絵を描くワークショップEGAKUを展開しているアートの会社ホワイトシップでした。洞窟画が示すように、文字よりも農業よりも商業よりもはるか昔から、人間は絵を描いていた。手を動かして何かをつくっていた。創造は、人間の最古の欲求の一つではないか、と。
手を動かして何かをつくると、何より心が落ち着いてきます。私たちの中に潜んでいる人間の原始的な欲求が満たされるからでしょうか。また何かをつくっていると、それがきっかけとなって、さらなる創造へとつながっていきます。頭で考えていても自分が何をしたいかなんてわからないけれど、とりあえずひたすら手を動かしてつくっていると、その手の先にだんだんと見えてくるものがある。
さらなる創造、とは、小説を書くようになるとか大きな絵を描くようになるとかそんな大それたことではなく(そういうすごい人ももちろんいますが)、それまではなんとなく締め切りやまわりの期待、資本主義の力に追われて受動的に生きていたのが、自分が起点の能動的な人生になっていく感じ。地に足がつき日々の実感が少しずつくっきりしてくるような感じ、です。
それは、EGAKUで定期的に絵を描いたり、華道家として独立してからその前よりも頻度高く花をいけてきた中で体感していることです。また「花をいける、花をいかす」をつくり多くの方々がただ純粋に花をいけることに没頭し楽しむ姿を見て、確信を強めてきたことでもあります。
IKERU交流会(写真 玉利廉延)
これまで、から手を離した先に
この1ヶ月半、その病気にかかった人の1000人に一人とも言われる命に関わる薬の副作用やら、器官全摘の手術やら、その他本当にいろんなことがあり、ひーっとなることもありましたが、全般的には心穏やかに暮らしています。
ひーっとなったら「私、ひーっとなってるな」と観察し、「ま、そりゃひーっとなるよね」とあたたかく受け入れると、そのままひーっが溶けていく感じがあります。セルフ・コンパッションが、おぼろげながら育まれてきているのかもしれません。
そして、「手を動かす」ことについては、これまでずっとやってきたいけばなではなく、フラワーアレンジメントを作っては、人にあげたり送ったり、というのを日々やっています。
また、買ってきた花だけでなく、「そこらへんにある野草(一般的には雑草と言われているもの)」を使っていけばなやアレンジを作ったりもしています。
アレンジメントや野草を使った作品づくりは、考えてやっているのではなく、なんとなくそうしたいな、と感じて身体が動いてやっていることです。
栽培された花を買ってきてのいけばなは経験も長いので大体の勘がありますが、フラワーアレンジメントはちゃんと習ったこともなく、野草を扱うのも初めて。「こうやってオアシスに花をさすとだめなんだな」とか「この草は剣山には入らないな」とか「朝採って1時間ぐらい水揚げするといいな」とか、小さな学びに満ちています。そしてなぜか次の日もその次の日もせっせと作っている。
ものすごくゆるいオンラインいけばなは副作用で倒れる前にふと思いついて時々やっていますが、コロナによる時代の変化に合わせて「これまでリアルな場でやっていたいけばなレッスンをオンラインでやってみよう!」「いけばなの研修をオンラインでできないか考えてみよう!」とは考えていません。また、「じゃあ、今作っているアレンジをオンライン販売してみよう!」とも思いません。そういうことではない気がしているから。
これまでやってきたことを新しい環境にどう適応・変化させていくか、ではなく、一度やってきたことから手を離し、違う形で手を動かすことで、先に何か、今の自分の思考や想像を超えたものが立ち現れてくるのではないか。
せっかくここまで徹底的に、これまで、から手を離す環境が整ったのだから。
さらに言えば、別にこの先に新規のアイディアなんて立ち現れなくたって、その日やりたいと思ったことをやる、の連続で日々を過ごせれば、それでいいよね、とも思っています。
待ちすらせず、ただ日々つくる、を積み重ねる。
そこまでいけたらいいな。
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