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マジョリティに対する寛容さ

マイノリティが権利を主張する際にはしばしば、迫害してくるマジョリティの否定が全面に出る。もちろん迫害を容認していたらマイノリティの地位は変わらないが(寛容のパラドックス)、否定の形態によっては、かえってマイノリティの地位を難しくするのではないだろうか。

SOGIを例に考える。今までは異性間恋愛や男女二元論が社会の常識であった。そして今の30代以降はそのような時代を生きて来た訳である。
しかし、ここ数年の間にlgbtムーブメンが急来し、今やSOGIという言葉に変わろうとすらしている。今までの常識からは全く考えられない新たな概念を彼らが受け入れるのは決して容易い事では無い。まず彼らが生きてきた常識を丸々捨てなくてはならない。これは相当なストレスだろう。
しかし変わりゆく時代に対応する為に保守派以外は少しずつ転換していく。

この時、新しい概念を持ち込んだ欧米人や、その概念のなかで生まれ育った若い世代が、完全には適応しきれて居ない世代に対して『老害だ』とか『時代遅れだ』『この人は差別主義者だ』と寄ってたかって攻撃するのは如何なものだろうか。伝統的性価値観の肩をもつつもりは一切ないが、このような姿勢は転換途中世代と先進世代、ひいては伝統的価値観と先進的価値観の対立を強めてしまい、新しい概念の普及にブレーキを掛けてはしまわないだろうか。またその弾糾をみた中立者たちの新しい概念への印象はどうなるだろうか。実際には人権思想に基づいた平和で先進的な概念でも、攻撃的な左翼として片づけられてしまうかもしれない。近代までは争い無くして権利獲得無しと言った、一種の流血主義で進んできたが現代では違う形の権利拡大を目指すべきだ。

それらを防ぎ、マイノリティ側はマジョリティに受け入れてもらう為に、直ぐには受け入れる事が出来ないマジョリティを受け入れなくてはならない。転換途中世代が間違えた発言をした時に炎上させ辞任まで追い込むのでは無く、辛抱強く『それは〜な理由で、不適切ですよ。勉強して下さりありがとう』と向き合っていかなくてはならないし、対立に体力を使うより早く転換するのでは無いだろうか。対立してしまうと、転換途中世代側に''負けてたまるか''という感情が生まれてしまい、転換を一層困難なものにする。またマイノリティはマジョリティに価値観の転換という非常にストレスの掛かる事を要求しているのでその分の感謝と言ったら大袈裟であるが、理解は示しても良いのでは無いだろうか。

理解してもらう為にはまず、理解してあげる事なのかもしれない。

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